多く方が、特に武道に携わっている方なら、何となく知ってはいるが、詳しくは知らないというのが、新渡戸稲造の「武士道」だと思います。
こんな時代だからこそ多くの人に「武士道」を読んでほしい。
何て言いたくなるし、
一世代前までは日本らしさが残されていたと言ったりしますが、明治時代から、明治、大正、昭和、平成、令和、ずっと同じ事を言っているのですね。
最近の若者はピラミッドも作れない、
最近の若者はマンモスの一頭も捕らえられない、
それの逆感覚ですね。
とは言ってもやはり令和を生きる私には、昭和の時代は、人は武士道、神道、会社は日本的経営、職人気質が残されていたように思う。
職人気質と言ってもいわゆる職人と呼ばれる人たちだけではなく、あらゆる職業、例えば、タクシーの運転手は、お客さんを安全に快適に早く目的地まで届けるという使命感を持っていたし、学校の先生は、子供たちを成長させるという使命感を持っていた。
企業は三方良しで、売り手良し・買い手良し・世間良しで、自社だけの利益を追求するのではなく、共存共栄で、社会貢献の意識も強かったように思う。
私のよく行く武蔵小山の商店街がありますが、最近そこの昔からある眼鏡屋の真向かいに、人気のチェーン店の眼鏡屋が出店した。
昔の日本からすると考えられないですね。
欧米の経営法が日本でも主流になってきて、法律的に問題なければ何でもありになっている。
倫理や道徳が上にあって、問題が起こったときに法律がでてきてたのが、最近は法律が上に来ているように思えます。
お天道様の下では嘘をつかないとか、大手を振って歩けないような事はしないとか、いただきますと感謝するとか、そういう事を当たり前に教わっていたのが、大人とか、本とか、学校とか、地域とか、そういう事に触れる機会が少なくなってる気がします。
と言うことを明治時代からいつの時代も誰かが言っているわけで、これからも同じと思いますし、
「一皮むけば、そこにはサムライが現れます。」と本書にあるように、根っこには武士道があるというのが日本人の、日本の強みだと思います。
明治に新渡戸稲造さんが、武士道は桜の花のように散っていくだろうとか、その名を忘れられる日が来てもその香りは空中を漂っていると、哀しんでおりましたが、令和の今でも私の周りには武士道で生きている人たちが多くいます。
今後「武士道」を読む人が増え、多くの日本人が根っこに持ってる武士道を表に表す人が増えていくことを願います。