はじめに
私は自分の兵法の道を「二天一流」と命名し、長年鍛錬してきたが、思うところあって、初めて書物にして後々まで残したいと決意するに至った。
私は播磨国(兵庫県)出身の武士、名は新免武蔵守藤原玄信、齢は積もり重なって六十になる。
私はまだ若かったころから兵法の道に精魂を傾け、十三にして初めての勝負をした。
それ以降諸国をめぐり様々な流派の剣豪と出会って六十数回勝負を決したが、一度たりとも敗者となることはなかった。
その後、より高度な道理に辿り着こうとして、朝な夕なに鍛錬し精進を重ねたところ、自然な形で兵法の神髄を体得できた。
それは私が五十歳頃の事であった。
それ以降は、さらに追い求める道はなくなり、ただ日々を送る毎日であった。
私なりの兵法の流儀を、馬術、槍術などの諸芸のやり方にも当てはめてきたので、人生のすべてに師匠というものはない。
この書を執筆するに際しても、仏法・儒教の古来の言葉を引用したりすることはせず、また、軍記・兵法に記されている昔のことも用いず、ただ我が二天一流の見解によってのみ真実を追求することとし、天と観世音菩薩を我が心を映す鏡として筆をとり、書き始めるのである。