五輪書 地之巻7


ー 「兵法」の二文字に秘められた含蓄に精通すること

この道では、刀の使い方に秀でたものを「兵法者」と世間では言ってきた。
諸々の武芸の道の上達者で、弓を巧みに射るものを「射手」といい、鉄砲が上手く使いこなせれば「鉄砲撃ち」と言い、槍が上手に使えるものは「槍使い」と言い、薙刀に習熟した者を「薙刀遣い」と言っている。
しかし、刀の道に精通した者については「刀遣い」とか「脇差使い」とは言わない。
弓・鉄砲・槍・薙刀は、みな武士の武具であり、いずれも兵法の道に変わりはないのだが、兵法と呼んでいるのは刀だけであって、それ相応の説得力のある理由があるのだ。

霊剣・聖剣という言葉があるように、刀には威徳とも呼ぶべき霊験あらたかなものがあり、その威徳を身に付けることで世を治めたり自身を修めたりできるようになることから、刀を兵法の根源と見なすのである。
刀の威徳を身に付ければ、一人でも十人を相手にして勝つことができる。
かくのごとく、我が二天一流の兵法では、一対一の戦いも万対万の戦いも本質は同じと見なし、武士が心得るべき法を全て兵法と総称しているのである。

道ということについて述べるならば、儒学者・仏道者・茶道家・礼法家・能役者らにもそれぞれの道があるが、それらは武士の道には含まない。
武士の道ではないと言っても、それぞれの道について広く知ることは、どんなことにも通じることを意味する。
いずれの道においても、人間として自分自身を鍛錬することが肝心なのである。

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