武士道 第1章


第1章ー武士道とは生きるための道である。

・武士道とは「桜」
武士道は、我が国の桜の花と同じものです。
それは日本の土壌で生まれ、今なお我が国の特徴を象徴している国有の花に他なりません。
武士道は現在もなお、力強さと美しさを持って、私たちの中に生き続けています。
姿や形こそ見えなくなっても武士道という言葉が醸し出す道徳的な芳香は、私たちがいまだにそれに影響を受けていることを思い出させます。
武士道を生み、育んできた社会状況は、すでに消えて久しくなっています。
しかし、かつて存在していた星々のきらめきが夜空を照らすのと同様に、武士道は今も私たちの頭上に光り輝いているのです。
封建制度の所産として生まれた武士道。しかしその精神は、生みの親となった社会制度が崩壊しても生き残っています。
そして私たちが守るべき倫理的規律として、足下の道を照らし続けています。

・武士道は英語でも「bushido」である。
武士道という言葉の起源をたどっていくと、非常に広範囲な意味を含んでいることが分かります。
武士道が意味するところは、「武=武力を持った」「士=身分の高いもの」が「道=生きるにおいて選ぶべき道」であり、高貴な存在であった武士階級が、職務においてだけでなく、日常生活においても遵守すべきものとされてきました。
それは武士階級における義務と呼べるものなのです。

・どのように武士道は生まれてきたか?
このように武士道とは、武士たちが守ることを要求され、また教え込まれた道徳規範たる掟でした。
それは決して文章や条文として書き表されたもの、でも一人の人物を通して作られたものでもなく、何十年何百年もの武士たちの生き方を通じ、有機的に成長してきたものです。
だから私たちは、明確な時と場をあげて、ここに武士道の源流があるということはできません。
ただ一つ言えることは、武士道は封建時代を通じて徐々に形成されていったものであり、その起源は封建性の成立と同一時期と考えていいのではないかということです。
ただし封建制そのものも複雑な要素を織り込んで生まれたものであり、武士道もその複雑な構造を受け継いでいます。
一般的に源頼朝の政権が誕生した時、封建制度も同時に生まれたとみなされるでしょう。
ただ封建制度の萌芽は、頼朝の鎌倉時代よりずっと前に存在していたのです。

・侍たちが求めたフェアプレイ
封建制が確立すると、戦闘のプロフェッショナル階級が自然に頭角を現してきました。
彼らは「サムライ」として知られ、その意味は護衛や従者を示したものです。
漢字の「武家」や「武士」という言葉も、封建性の確立とともに一般的に使われるようになってきました。
彼らは特権階級ではあったものの、当時は戦闘を生計の手段とする粗野な素性の者たちだったのです。
彼らがやがて大きな名誉と大きな権限を持つようになり、またそれに伴って大きな責任を担うようになると、すぐにその行動を律する共通基準を作る必要性を感じてきました。
彼らは常に戦闘を交える立ち場にあり、それぞれが異なる武士団に所属していましたから、ルール作りの必要性も大きかったのです。
もし武士集団の制度が高次な道徳的基盤を持たず、利害のみでひた走っていたならば、武士の理想など「武士道」とははるかにかけ離れた低次元なものになっていたでしょう。

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