第10章 『侍の教育と訓練』
・武家の本業はあくまでも「戦うこと」
武士の教育において、第一に重んじられてきたことは、品性を確立すること。
思慮深さ、賢さ、雄弁さといった知的才能は、放っておかれました。
美芸をたしなむことも、教育の中で重んじられてきたことは、すでに見ました。
確かにそれは文化人として欠くことのできないものですが、装飾品のようなものだったのでしょう。
武士を支えていた三つの柱は「智」「仁」「勇」であり、サムライは本質的に、行動の人だったのです。
学問はその範疇の外。
基本的にには、「戦う」という仕事に役立つ場合のみ、学問が貴ばれました。
宗教や神学は僧侶や神官に任され、武士はそれが勇気を養う手助けになる場合のみ、その力を借ります。
哲学と文学は、サムライが行った知的な訓練の主要な要素となってはいましたが、哲学は品性を高めるため、文学は高ぶる心を癒すための実践的な手段にするため。
軍事や政治の知識を身に付けるためではなかったのです。
ずっと述べてきたことを考えれば、武士の教育のカリキュラムが、次のような科目から成り立っていたことを見ても驚かないでしょう。
剣術、弓術、柔術、馬術、槍術、兵法、書道、道徳、文学、歴史。
これらが主な科目になります。
このうち「柔術」と「書道」に関しては、多少の説明が必要でしょう。
「書」に重きが置かれた理由は、書道によって描かれる文字は、その人の品格を映し出しているとされていました。
「柔術」について説明すると、レスリングと違って筋力の強さに頼らず、他の武芸と違って武器を使いません。
解剖学的なものを応用して相手を抵抗できないようにします。
その目的は敵を殺すことではなく、動きを封じることにあるのです。
・サムライに「金儲けの知識」など必要ない!
軍事の教育として本来必要なのに、武士道にはまったく欠けてた勉強項目が「数学」でした。
なぜなら武士道というものは、経済の実利を重んじなかったのです。むしろ貧困を誇りとしていました。
武士は、お金そのものを嫌い、金儲けや貯蓄の術を賤しみました。
武士にとって儲けたお金は、汚いものと考えられます。
こうした理由もあり、武士の子供たちは、経済の事を全く無視したのです。
それについて語るのも「趣味の悪いこと」とされ、貨幣の価値の違いも分からないようなことが、良い教育を受けたしるしのようにいわれます。
けれども、軍勢を集めたり、恩賞を与えたり、知行を分配するには、どうしても数字の知識が必要になります。
だからお金の計算はすべて下の身分の者に任されました。
実際、多くの藩の財政は、下級武士や僧侶によって行われています。
思慮ある武士は軍資金を作ることの重要性をよくわかっていたのですが、「お金の価値がわかっていること」を徳にまで高めようとは考えていなかったようです。
武士道において倹約が求められたことは確かですが、それは経済的な理由からではなく、忍耐力を養うためでした。
贅沢は人にとって最も慎むべきことと考えられ、武士の生活には徹底的な質素さが求められました。
このように金銭への愛着が嫌われましたから、武士道は、根本にお金が絡んだありとあらゆる問題を免れることができました。
そのため我が国の役人は、長い間、腐敗や汚職にまみれずに済んできたのです。
・だから貧困を貫いた武士道の教師たち
知性ではなく品格、頭脳でなく魂というのが、教育の目指すところになると、それを教え、育む役を担う教師の職業は、非常に神聖なものとなっていきます。
「私を生んでくれたのは親であるが、私を作ったのは教師だった」
武士はこのように考え、教師に対する尊敬の念は、きわめて高いものになったのです。
若い武士から、そういった信頼と尊敬を得たものは、十分な学識を持っているだけでなく、優れた人格者でならなければなりませんでした。
武士は、お金のことも、価格のことも考えずに、他人に尽くすことが自分の仕事だと信じていたのです。
宗教者にせよ、教師にせよ、精神的な奉仕をする仕事は、その報酬を金や銀に置き換えることができません。
だから価値がないのではなく、だからこそ大きな価値があります。
教育における最高の仕事とは、いわば魂を成長させることであり、はっきりしていないし、具体的ではないし、数量でもとらえられません。
数量を図れないものに対し、目に見える価値を図るものである金銭を当てはめるのは、まったく不適当な事でしょう。
かつては毎年、特定の時期に、生徒が先生にお金や品物を贈る習慣がありました。
これらは報酬ではなく、お礼として贈られたものです。
教師たちはいつも厳格さに努め、名誉ある貧乏を誇りにしており、あまりにも威厳があったため肉体労働はできず、お金を乞うにはプライドが高すぎました。
だから教師にとって、金品を贈られることは、非常にありがたいことでもあったのです。
彼らは逆光に屈せず、高邁な精神と、威厳のある人格を持っていました。
まさに学問を修めることによってたどりつく理想の体現者であり、武士道には必ず要求され、鍛錬に鍛錬を重ねて鍛え上げていく「克己心」の生きた見本だったのです。