第11章 『自制』
・なぜサムライは「感情を顔に出さない」のか?
武士道では、一方では、どんなことにも不平をいわない「不屈の精神」を養いました。
そして一方では、自分の悲しみや苦痛を表すことで、他人の楽しみや安らぎを邪魔しないようにする「礼」も学んでいます。
この二つが統合することで、ストイズムに見える日本人の国民的な気質が出来上がったのでしょう。
それでも日本人は、他国の人々よりずっと、感情に対しては敏感なのではないかと私は思っているのです。
だから自然に沸き上がる感情を抑えることで、大きな苦痛を感じています。
少年や少女たちが、どんな感情に対しても、込み上げる涙や苦痛の声を出さないように、幼い頃から教え込まれてきた様子を想像してみてください。
そうした努力は、神経を鈍くするのか?
あるいはもっと繊細にしてしまうのか?
サムライは、感情を顔に表すことを「男らしくない」と考えておりました。
「喜怒を色に表さらず」という言葉は、偉大な人格について言うときに使われています。
その行動が落ち着いていて、精神が平静であれば、どんな種類の感情にも乱されることはありません。
思い出すのは、近年の清国との戦争の時です。
ある日本の連隊が町を去る時、大勢の見送りの人々が駅へ出向き、将校や兵士たちに別れを告げました。
その場に一人のアメリカ人滞在者が、見物に訪れます。
彼は、「人々が大声を上げて熱狂するさまが見られる」と期待したのです。
群衆の中には兵士たちの父母や妻、また恋人たちも交ざっていました。
しかしそのアメリカ人は、結局、がっかりすることになってしまったのです。
なぜなら汽笛が鳴り、列車が動き出すと、何千人もの人々は静かに帽子を脱ぎ、うやうやしく頭を下げて、別れの挨拶をするだけでした。
そこには言葉もなく、あるのは深い沈黙。
注意深く聞くと、小さなすすり泣く声が聞こえてくる・・・・・という程度でした。
・口に出さず、ただ心で噛みしめる!
男性でも女性でも、その魂が揺り動かされたとき、最初に生まれる反応は、静かに自身が受け取った感覚を抑えることなのです。
「汝の霊魂の土壌が微妙なる思想をもって動くを感ずるか。それは種子の芽生える時である。言語をもってこれを妨げるな。静かに、密やかに、これをして独り働かしめよ」
若いサムライが日記に書いている言葉です。
人の心の中にある思想や感情を、多くの技巧的な言葉で語ることは、それを心から信じていないし、熱心でない証拠とされました。
・抑えた感情を、古の日本人はどこで吐きだしたのか?
感情を抑えることが強く求められてきましたから、いにしえの日本人は、その安全弁として、詩歌の創作を見いだしました。
十世紀の歌人、紀貫之は次のように書いています。
「日本でも中国でも、歌は心に思うだけでは耐えられないときに、つくられたものなのだ」
たとえば我が子を失った一人の母親は、その辛い心をまぎらわせようと、子がトンボとりに出かけた様子を想像し、次のような歌を詠みました。
「トンボつり 今日はどこまで 行ったやら」
私たちの国の詩歌は、作者が傷口から一滴一滴その血を絞り出し、これを美しいビーズにして糸を通し、最高傑作に仕上げたようなものなのです。
個人的には、日本人はあまりにも興奮しやすく、また敏感すぎるので、絶え間ない自制心を認識し、鍛えていく必要性があったのだと信じています。
しかし自制心の訓練は、たやすく「行き過ぎになる」ことがありました。
行き過ぎた訓練は、湧き上がってくる温かい心を抑えてしまうこともあるし、素直な天性の心を歪め、偏屈で化け物じみた心を生み出してしまうこともあります。
どんなに高尚な徳にも、マイナス面や、まがい物はあります。
私たちはそれぞれの徳の中にあるポジティブな特質をとらえ、ポジティブな理想を追求しなくてはなりません。
自制心とは、我が国の表現でいえば「心の平静を保つこと」となります。