第12章 『「切腹」と「仇討ち」の制度』
・切腹は決して「特別な風習」ではない
「自害」の問題から始めたいのですが、私が述べるのは、「腹切り」として外国人の方によく知られている「切腹」に限った思考です。
その意味は、自らの腹部を切って自殺することになります。
確かに外国人の耳には、「腹切り」という言葉の最初の響きは、あまりにも奇妙に感じられます。
けれども、アディソンがギリシャの英雄、カトーを主人公にした悲劇の中で、彼に歌わせた臨終の歌を知っている人であれば、彼の腹に深々と刺さった剣を目にして、嘲笑ったりはしないでしょう。
日本人の心には、このような切腹に似た死に方は、最も高貴に感じられ、最も心を打つのです。
それを見た私たちが、嫌悪や嘲笑を感じることはありません。
・腹を切り裂くのは「魂」を公にさらすため
切腹に対して私たちが何も不合理を感じないのは、「そうした例がたくさんある」というだけでは説明できません。
とくに身体のこの部分を切るということに関しては、実は古代からの解剖学的な信念も基礎になっているのです。
「霊魂と身体の宿る場所は、腹の中にある」ということが、様々な文化の中で言われてきました。
「私は魂が鎮座している場所を開き、あなたにその様子を見せましょう。私の魂が清らかなのか、それとも汚れているのか。どうぞご自身でご確認ください」
切腹にはそういう意味があるのです。
私は宗教的な意味でも、倫理的な意味でも、自殺の正当性を認めてもらおうとしているわけではありません。
ただ、武士たちにとっては、名誉を重んずる信念が、自らの命を棄てるのに十分正当な理由を与えました。
・ソクラテスの名誉ある死は武士道に通す
私たちは弟子たちの話から、彼がどのように国家の命令に従ったかを詳細に知ることができます。
ソクラテスは倫理的には理不尽だと知りながら、逃亡できたにもかかわらず、命じられた毒杯を手に取りました。
ソクラテスの死は、一般的には「処刑」であり、肉体的には何も強制されませんでしたが、裁判官の判決は絶対でした。
「お前は死ぬべきだ。ただし、お前自身の手によって死ね」
ソクラテスはそう言われたのです。
自殺という言葉が自分自身の手によって死ぬことを意味するなら、ソクラテスは明らかに自殺をしたのです。
しかし誰も彼に「自殺の罪」を背負わせる者はいませんでした。
読者の皆様が「切腹」を理解するのにも、単純にそれを「自殺の方法」と考えないことが必要となります。
切腹は法律上、また儀礼上の制度でした。
中世の頃に始まったものですが、武士がその罪を償ったり、過ちを謝罪したり、汚名から逃れたり、誠実さを証明したりする方法として続けられてきました。
法律上の罰として切腹が行われる際は、荘厳な儀式をもって執り行われます。
切腹は洗練された自己破壊であり、冷静な気持ちで、落ち着いて実行しなければ、正しく実行することができないようなものだったのです。
だからこそ切腹は、とくに武士の死には相応しいものとされてきました。
・サムライは決して「死に急ぐ」のではない
それでも真のサムライにとって、死に急いだり、死を請うことは、卑怯なこととされていたのです。
山中鹿之助という一人の武士は、幾度もの戦いに敗れ、平野から丘へ、森から洞窟へと追われました。
暗い木のくぼみで、飢えと孤独に耐え、刀は欠け、弓は折れ、矢は尽きはてた状況でも、彼は死ぬことは臆病だと考えました。
このサムライはこんな歌を詠んだのです。
「憂き事の なほこの上に 積れかし 限りある身の 力ためさん」
(辛いことよ、もっとこの上に訪れるといい 自分の限りある身がどこまで耐えられるのか、ためしてやろう)
武士道が教えたのは、まさにこのことなのです。
それは、「忍耐と純真な信念をもって、あらゆる困難や逆風に立ち向かい、それを乗り越えていく」ということでした。
真の名誉とは、天命を果たすことであって、そのために死を招くことは、決して不名誉なことではありません。
これに対して、天が与えたものを避けて死ぬことは、本当に卑怯なことではありませんか。
・「復讐」と「仇討ち」の大きな違い
これから私たちは「仇討ち」、あるいは「復讐」について見ていきます。
古代エジプトの神話で、オシリス神は息子であるホルス神に言います。
「この地上で最も美しいものは何か?」
「それは親の仇を討つことです」と答えたホルスは、まさに父オシリスを殺した敵を滅ぼしました。
ただ日本人であれば、ここに「主君の仇を討つこと」という言葉を加えるでしょう。
・四十七士が今なお日本人に愛されるのはなぜか?
四十七士の主君は、死罪を命じられ、切腹します。
そこには吉良上野介から受けた不正があったのですが、そのことで控訴するような裁判所は日本には存在しませんでした。
だから唯一の最高裁判所として存在する「仇討ち」に訴えたのです。
彼らもまた日常の法によって死罪となりますが、民衆の中にある本能は異なった判決を下しました。
だから現在になってもなお、泉岳寺にある彼らのお墓には、花や線香が絶えることなく、その名は永遠に記憶されているのです。
しかし、復習が正当と見なされたのは、目上の者や恩のある者に対する信義が断ち切られたときのみ。
自分自身が受けた危害や、妻子が受けた危害に対しては、それを我慢し、許すべきとされたのです。