武士道 第14章


第14章 『女性の教育と地位』

・武家の女性たちも「武士道」は徹底した!
武士道というのは、そもそもが男性のために作られてきた教訓です。
だから女性に与えられた特性も、「女性的」とされるようなものを当然のごとく無視してきました。
「女性特有の弱さから自分を解放し、最も強く、最も勇敢な男性に匹敵するような、英雄的態度を発揮する女性」を賞賛しました。
だから女性は、少女の頃から感情を抑え、精神力を強くし、また武器を扱う訓練も行っています。
このような武芸の訓練は、戦場で使うのが目的ではありません。
主君を持たない女性は、自分で自分の身を守る必要がありました。
つまり夫が主君を守るのと同じくらいの熱意で、個人の尊厳を自分で守ったのです。

・サムライの女は、迷わず短刀で自身の胸を刺す
女性が成年に達すると、「懐刀」という短刀を贈られました。
その短刀は、自分を襲ってきた者の胸を刺すため。
それがかなわなければ、自分自身の胸を刺すためです。
自害の方法を知らないということは、女性たちにとって恥ずべきこととされました。
また、どれほど死の苦痛を感じたとしても、彼女の死が発見されたときに、脚が乱れずに正しい姿勢を保てるよう、帯紐でしっかり膝を結ぶ方法も知らなければなりませんでした。

・才女は一流をもって人をおもてなす
芸事や、優美な日常生活も、女性たちに要求されていたことでした。
音楽、踊り、また文学などもおろそかにされていません。
実際、我が国の文学の中で最高の詩歌のいくつかは、女性たちが自ら感情を表現したものです。
ここで私たちは、同じ理想が、青年たちの教育においても追及されていたことに気づきます。
すなわち芸事というのは、あくまで道徳的な価値観に従属したものだったのです。
舞踊や音楽は、人生に優雅さや輝きを加えれば十分であって、見栄や奢侈を求めるものではありません。
日本の女性たちの芸事は、それを見てもらい、世間に名を売るために学ぶものではありません。
あくまで家庭で楽しむものであり、社交の場で披露するのは、ホスト役としての務めに過ぎませんでした。
言い換えるなら、主婦として客をもてなす趣向の一部だったのです。
サムライの家の女性たちが教育を受ける理由は、家を治めるためでした。

・刺客に首を捧げた理想の妻
日夜、彼女たちは、ときには強く、ときには優しく、そきには勇敢に、またあるときは哀しく、彼女たちの小さな巣のために歌い続けました。
娘としては父のために、妻としては夫のために、母としては息子のために、その身を犠牲にしたのです。
女性が夫や家や一族のために身を捧げるのは、男性が進んで主君や国のために身を捧げるのと同じ目的で、立派なこととされてきました。
自己放棄、おそらくはこれなくして、武士道に生きた人々の人生に見られる謎は解けないでしょう。
女性は己を棄てて男性を助け、男性は己を棄てて主君に仕える。
そして主君は天命に従って、己の役割を果たすことが求められました。

・日本人男性が妻を「愚妻」と呼ぶ理由
一般的な日本人男性は、自分の妻を表現するのに、「愚妻」などという言葉を使います。
日本について生半可な知識しか持たない外国人には、それを聞いて、「女性が蔑められている」とか、「少しも尊敬されていない」という人もいます。
けれどもそれは、物事を表面からしか見ていません。
だいたい同じような言葉で、「愚夫」とか「豚児」とか「拙者」なども、日常的に使われているのです。
それだけで答えは十分でしょう。
夫や妻が第三者に対し、よかれあしかれ、愛らしいとか、聡明だとか、優しいなどというのを聞くと、夫や妻を「自分の半身」と考えている日本人には非常におかしく思えます。
自分自身のことを「聡明なる私」とか「私の愛らしい性格」などと話すのは、良い趣味といえるでしょうか?
私たち日本人は自分自身の妻を褒めることは、自分の一部を褒めることと同じだと考えているのです。
そして私たちは、自分を賞賛することは、少なくとも「悪趣味だ」と見なしているのです。

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