第2章ー武士道の源流
・仏教と神道がもたらしたもの
まずは仏教から始めてみましょう。
仏教は武士道に対し、運命に全てを委ねる穏やかな感覚や、避けられないものに対しても冷静に従う強さをもたらしました。
それは危険や災難に出会っても厳格なまでに落ち着き払い、生を軽んじて、死に親しむような姿勢に反映されています。
有名な剣術の師匠、柳生宗徳は、彼の生徒がその奥義を習得したのを見たとき、彼に向って言います。
「もうこれ以上お前に教えることはない、あとは禅に学びなさい。」
禅の目指すところは、あらゆる現象の根源にある原理を悟り、自分自身をこの世の絶対的な存在と調和させることだと私は理解しています。
自分自身を世俗的な事柄から切り離し、新たなる天と地の世界に気付かせるものなのでしょう。
仏教が武士道に与えなかったものは神道が十分に補ってくれました。
主君に対する忠誠、先祖に対する崇敬、親に対する孝行は、他の教義が教えなかったものであり、神道の教義から導入されます。
これによってサムライの傲慢な性格は抑制され、代わりに忍耐強さが加わったのです。
神道の教義は、日本人が普段の生活の中で持つ、二つの特徴的な感情を支配しています。
それは、「愛国心」と「忠誠心」です。それは宗教というより民族感情だったからこそ、神道は武士道に刺激を与えたのでしょう。
・孔子や孟子は「裏付け」だった
厳密に道徳教義ということでいえば、武士道の最も大きな源流となったのは、何といっても孔子の教えということになるでしょう。
「君臣」「父子」「夫婦」「長幼」「朋友」という五つの倫理的な関係(五倫)は、儒教の書物が中国から持たらされる前から日本人が共通して重んじ、大事にしてきたことでした。
孔子の教えは、その確認に過ぎません。
孔子に次いで、孟子も武士道に大きな権威を及ぼしました。
彼の説得力にあふれ、とくに華々しいまでに民主的な理論は、多くの武士に共感され、その心を動かしました。
孟子の理論は社会の秩序を乱す危険思想と考えられ、禁書として封印された経緯もあったのです。
しかし、それでもこの賢者の精神は、サムライたちの心に永遠にとどまっていました。
孔子と孟子の書物は、若者にとって第一の教科書となり、また大人たちの間で議論をする際に参照される最高の権威となります。
ただ、この二聖人の古典を読み、知識を得たというだけの者では、世間から高い評価を得ることもなかったのです。
論語読みの論語知らずという諺もあったくらいで、知識は学んだものに同化し、その者の品性として示されるようなものにならなければ意味はない、ということでした。
知性そのものは、倫理的な感情の下位に置かれました。
武士道においては、人間も宇宙も霊的な存在であり、道徳的な存在であると見なされたのです。
・日本人がたどりついた、あまりにもシンプルな哲学
その源流が何だったにせよ、武士道が吸収し同化した基本原理は、数少ないものであり、どれもシンプルなものでした。
それらは日本国の歴史が不安定となり、安全性が保てなかった時代でさえ、人生を安定に導く教訓として十分なものを提供したのです。