武士道 第7章


第7章『誠』

・侍が命を懸けて守った「誠」
誠実さと真摯さがなければ、「礼」は芝居やショーの類いと同じになってしまいます。
「礼に過ぐればへつらいとなる」とは、伊達政宗の言葉でした。

孔子は、「誠」とは限りなく広く、限りなく続くものであり、その力は動くことなくして変化を生み、そこに存在するだけで物事を成し遂げる力を持っている、と説いています。

嘘をついたりごまかしたりすることは、等しく卑怯なこととされています。
武士には社会的に高い地位を与えられたのですから、商人や農民よりもずっと高い「誠」を要求されました。
「武士の一言」という侍の言葉は、それが真実であることを保証するものだったのです。
証文を書くことなど、武士の威厳にかかわることでした。
多くのキリスト教徒が「真実であることを誓う」のとは異なり、サムライは誓うことそのものを、「自分の名誉を傷つける行為」と考えていました。

勿論私は、武士たちが様々な神や己の刀にかけて何かを誓ったということを承知しています。
その誓いを強調するために「血判」が押されることもありました。

・正直さと誠意は報酬に見合う。
人の世におけるあらゆる素晴らしい職業の中でも、戦士と商人ほど、遠くかけ離れたものはありません。
日本で商人というのは、士農工商という職業区分の中で、最も低い地位に置かれました。
サムライは土地から収入を得て、自ら農園で耕作することもありました。
ただ、銭勘定したり、算盤をはじいたりすることは嫌ったのです。
権力と富を分離させることは、社会をより平等にすることに役立ったのです。

こうしたこともあって、封建時代の日本では、商業は自由であれば到達しただろうという段階まで、発展することがありませんでした。
格下に蔑まれてきたため、この職業には自然と社会的な評判など気にしない人々が集まってきます。
「人を泥棒と呼べば、その人は盗むだろう」というように、汚名を着せられれば、着せられた人は、自らの品性をその汚名に合わせてしまうのです。

しかし、商業だろうが他の職業だろうが、どんな仕事でも道徳規範なしで成立しえないことは、いうまでもありません。
封建時代の日本の商人も、彼ら自身の中で、独自の規範を作っていました。
そうでなければ、組合、銀行、取引所、保険、手形、為替などといった基本的な商業制度を発展させることはできなかったでしょう。
けれども職業の異なる人々に対しては、やはり商人たちも評判どおり、自らが置かれた序列に相応しい態度で接することが多かったのです。

それでも産業が成長していけば、誠は実践しやすく、しかも実利のある徳であることが分かってくることでしょう。
1880年、ドイツのビスマルク宰相は「我々ドイツの船に積んだ貨物が質、量ともに、著しく信用を欠くことは、ゆゆしき問題だ」という訓令を発したことを考えてみてください。
最近では商取引において、ドイツ人の不注意や不正直を聞くことは少なくなりました。
ビスマルクの発令から20年の間に、ドイツ人の商人は、正直さが報酬に見合うことを学んだのです。
すでに我が国の商人も、このことに気が付いているのでしょう。

とても興味深いのは、商人であっても債務者となった場合、証書の中にはっきりした形で誠意と名誉を重んじることが記載されたことです。
例えばこんな文句を書き込むことも、きわめて普通に行われていました。
「お借りした金子の返済を行ったときは、衆人が見ている中でお笑いくださってもかまいません」

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