武士道 第8章


第8章 『名誉』

・侍が幼少のころから叩き込まれた「名誉」
名誉に対する意識は、個人の尊厳と価値を、明らかに自覚することから生まれてきます。
そのため名誉は、その身分に対する義務と特権を、生まれてからずっと価値あるものと重んじてきたサムライを特徴づけるものでなければなりませんでした。

一人の人間の評判を形づくる「よき名前」
それは「その人自身が備えた不滅の者であり、それがなければ人は獣と変わらない」とされました。
したがって名前を汚されることは最も恥ずべきこととされ、「廉恥心」の感情は、武士の少年の教育で最も早く養成されるものの一つになったのです。
「笑われるぞ」「面汚しが」「恥ずかしくないのか」という言葉は、幼い者の行動を正すときに、最後に使われる言葉でした。
このように名誉心に訴えることは、子供たちの心の、最も敏感な部分に触れることになります。
子供たちにとって名誉は、家柄に対する強力な自覚と密接に結びついていました。

新井白石という武士が、若いころに受けた些細な侮辱に対し、妥協して人格を傷つけられるのを拒んだのは正しいことでした。
彼はいいます。
「不名誉は木の切り傷のごとく、時はこれを消さず、かえってそれを大ならしめるのみ」

・名誉を守るためならば不作法も辞さない
日本の文学を見ても、私たちが不名誉を大変恐れていたことがよくわかります。 
その恐れはしばしば病的な性格を帯びることまでありました。
武士道の掟の中では、名誉の名のもとに、法的には許されない行為が行われることもよくあったのです。
とるに足りない小さな侮辱、というよりも侮辱を受けたという妄想から、短気な自惚れ屋が腹を立て、刀を抜く。そんな無用な争いごとから、罪のない多くの命が失われました。

ある物語に、善良な一人の町人が、一匹のノミが背中に跳ねたのを見て、注意を促したというものがあります。
するとその町人は、武士によって真っ二つに斬られてしまうのです。
「ノミは動物にたかる虫だ。それが背中に飛び移ったなどと、獣と高貴な武士を一緒にするのはけしからん侮辱である」
そんな単純にして、理解しかねる理由でした。
異常な例を一つ挙げて、武士道の考え方に非難を浴びせるのは、全く不公平でしょう。
繊細な名誉の掟によって人が極度な行き過ぎに陥ることは、寛容と忍耐の心を説くことで相殺されます。
実際、些細な挑発に腹を立てることは、「短気」といわれ、笑われました。
良く知られた金言にも「ならぬ堪忍するが堪忍」とあります。
偉大なる将軍、徳川家康の格言に次のようなものがあります。
「人に一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず・・・・・堪忍は無事長久の基・・・・・己を責めて人を責むるな」
彼はその人生を通して、この言葉の正しさを証明しました。

・西郷隆盛が貫いた「最高の善」
忍耐や我慢は、孟子によっても、大いに推奨されました。
「あなたが私のそばで裸になるような無礼な行動をしても、私は気にしない。あなたがどんなに野蛮な行動をしても私の魂を汚すことはできないのだ」
どれだけ武士道が、戦わない、抵抗しないという、修道士のような境地に到達しようとしていたか。それは武士たちの発言からも分かります。
熊沢蕃山という武士はこう述べました。
「人は咎むとも咎めじ、人は怒るとも怒らじ、怒りと欲とを捨ててこそ常に心は楽しめ」
そしてもう一人、西郷隆盛の言葉を引用しましょう。
「人を相手にせず天を相手にせよ。天を相手にして己を尽くし、人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし」

まさにこれらの発言は、いわれたままにとどまらず、実際の行動によって体現されたのです。
ただし、寛容、忍耐、ゆるしといった高みに到達する者が、ごく少数に過ぎなかったという点は、認めなければなりません。
とくに武士の名誉とはいったいどういうものなのか。それについて明白な形で説明されたものが何もなかったというのは非常に哀しむべきことです。
しかしごく少数の賢明な心を持った者だけが、
「名誉は境遇から生まれるものではない。それぞれが自分の役割を果たすことで得られるものだ」ということに気づいていました。
若いサムライが追いかけなければならない目標は、富でも、知識でもなく、名誉でした。

彼らの多くは、生まれた家の敷居を超えるとき、「世に名を成すまで帰らない」と誓いました。
そして息子の成功を願う母親の多くは、俗にいう「故郷に錦を飾る」までは、彼らに会うことを拒んだのです。
恥を免れ、名を上げるために、サムライの少年たちは、どんなみすぼらしい生活も受け入れ、どんな肉体的な苦痛や、精神的な苦痛を伴う試練にも耐えました。
名誉と名声がそこで得られるのならば、命などは安いものと考えられていました。
だから命よりも大事だと考えられることが起これば、いとも冷静に、たやすく、命はそこで命を捨てられたのです。

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