武士道 第9章


第9章 『忠義』

・世界でも類のない「武士の忠義」はこうして生まれてきた
封建時代の道徳は、あらゆる階級の人々が持っていた様々な倫理体系を、それぞれの階級が価値観として分かち合っている部分がありました。
けれども、この「目上の者に対する服従と忠義」という価値観は、武士のみが持っていた特徴的なものです。
グリフィス(アメリカの宗教家)が『日本の宗教』という本で、「中国では儒教の倫理が親への忠義を第一の義務としているのに対し、日本では君主に対する忠義が優先された」としているのは、全く正しい指摘でしょう。

・愛する者の命を捨ててまで武士が守ろうとしたもの
西洋の個人主義は、父と息子、夫と妻という関係でも、双方に個別の利害を認めています。
だから一人の人間が他の人間に負う義務は、必然的にかなり緩和されています。
しかし武士道において、家族とは一体で不可分のもの。
家族を構成するそれぞれの人間の利害を、分けることはできません。
この利害というものは、そもそもが愛情と結びついたものであり、自然で、本能的で、抗うことができないものです。

大著『日本外史』の中で頼山陽は、平重盛の困惑した心を、切々と語っています。
重盛の父、清盛は、法皇に対して謀反を起こしました。
「忠ならんと欲せば孝ならず、孝ならんと欲せば忠ならず」
(主君に忠義を尽くそうとすれば親に逆らうこととなり孝行できず、親に孝行しようとすれば主君に背くことになり不忠となる。)
その後重盛は魂を込めて祈ります。
親切な天が、死を自分にもたらしてくれるように。そして、純粋さも正義も住みにくいこの世界から離れることができますように・・・と。
武士道において、清盛のようなせめぎ合いが起こった場合、迷わずその「孝」を捨てて、「忠義」を選ぶことにはためらいがなかったのです。
女性たちもまた、忠義のために我が子の命を捧げる覚悟ができていたのです。

・命は一時的なもの、名誉は永遠のもの
武士道は、私たちの良心が、主君の奴隷になることを求めてはいません。
自身の良心を、主君の気まぐれな意思や酔狂、妄想などに捧げたものたちに、武士道は極めて低い評価を与えています。
無節操な諂いで取り入ろうとする者には「佞臣」、卑屈な迎合で主君に気に入られようとする者には「寵臣」と。
臣下が、主君の意見が間違っていると思ったとき、臣下の取るべき道は、あらゆる手段を講じて主君の誤りを説得することでした。
これに失敗した場合、臣下に残された道は、主君の思うままに自分を処置させることです。
サムライがこのような境遇に遭遇したとき、自身の言葉の誠実さを、自らが血を流すことによって主君の知性と良心に訴えることはごく普通に行われていました。
そうした理想の土台には「名誉」があり、サムライの教育と鍛錬は、それに基づいて行われていました。

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