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武家作法について


武家作法というと小笠原流が知られていますが、知らない方も多いと思いますので簡単に言いますと、
武家作法を作った流派です。

それが現在にも伝わっていまして、誰にでも学ぶことができます。

私も現在千代田教室と北本教室に通っております。

簡単に歴史をまとめてみます。


鎌倉時代に初代の小笠原長清が源頼朝の弓馬術礼法師範に命じられた。

7代目の小笠原貞宗は南北朝時代に『修身論』及び『体用論』をまとめ、今日の小笠原流の基礎を築いた。

室町時代には、足利義満の命により、10代小笠原長秀が今川左京大夫氏頼・伊勢武蔵守憲忠と共に「三議一統」を作成し、武士の一般常識をまとめた。

17代小笠原経直は徳川家康に招かれ、徳川秀忠の弓馬術礼法師範となり、明治維新まで幕府の弓馬術礼法の師範を務める。

18代小笠原貞慶が「三議一統」後に加えられた記述を「小笠原礼書七冊」としてまとめた。

20代小笠原貞政は8代将軍吉宗の命により流鏑馬を復興し、以後現在まで続く。

明治13年東京神田に弓馬術礼法小笠原教場を開き一般に公開し、更に東京女子師範学校、 女子学習院等にて女性に作法を公開した。

現在は小笠原清忠が31代宗家となり、全国各地で武家作法を伝えると共に、明治神宮、靖国神社、日光東照宮等の全国の多くの神社と ニュ-ジ-ランド、フランス、メキシコ等の海外での流鏑馬を執行している。


簡単にまとめましたが勿論当時の作法を現在まで伝えるというのは簡単な事ではなかったようです。

特に侍の時代が終わり、侍文化まで無くなりつつあった明治維新後はかなり苦労があったようです。
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