今日も今日とて宗家不在の品川教室。
やはりいつもと違う事をやろうという考えは同じの立石講師。
「普段の稽古でほとんどやっていない斬られ方をやりたい」という言葉に私田邉も大賛同。
斬られると一言で言ってもなかなかに奥が深いのです。
初めは演技力がモノを言うのかと思っていたのですが、これが違うのです。
実際に斬られた経験は時代が時代なので流石にないのですが
こう斬られたら体はこっちに動くだろうな、
こうなるんだろうな、を想像するパワーが如何に大事か。
この想像力を体に落とし込めるか否かで、相当見栄えが変わってきます。
不思議な事に、斬られる側が上手だと斬っている側が大変に強く見えるのですね。
斬られる側も、ただあっけなくやられるのは勿体無い。
相手を殺そうと挑んでいる訳ですから、相当な因縁やら怨念が渦巻いているはずなのです。
(普段の稽古ではそこまで想像しなくてもいいと思います・・・)
その恨み辛みを残しながら力及ばず息絶える、まで妄想しながら動けると
それこそ見ている側の心を掴む立ち回りができるのではないかと思いました。
時代劇や演劇、舞台などでも華麗に敵をなぎ倒す主役だけでなく、
スポットライトの当たらない縁の下の力持ちの方々に目を向けると凄く勉強になると思います。
想像がうまくできないのであれば、人の技を見て盗めばいいのです。
今日は想像力豊かに柔軟な意見を皆で言い合える稽古場の環境を作れたのがとても有意義でした。
たまには恥を捨てて思いっきり斬られてみるのも良いものです。
立石講師お疲れ様でした!
代理講師 田邉