


今回は那覇シティーリゾートホテルに宿泊。
シティーリゾートをうたっているだけあってホームページにも、フリースペースでフリードリンクでワーケーション等にご利用下さい。なんて書いてある。

沖縄で仕事をするのにピッタリじゃないか。
昼食を終えて暫くして、フロントにフリースペースを使いたいと伝えると、フリースペースへ案内してくれた。
利用時間がレストランが終わる15時からなので、てっきりレストランがラウンジみたいになってフリースペースになると思っていたら、何かちょっと離れの部屋という感じだった。
さっきの昼食会場のシークヮーサージュースとかマンゴージュースとかコーヒーとかが飲み放題だと思っていたのだが、部屋に入ると飲み物が何もない。
スタッフの方が来て、「コーヒーかさんぴん茶がありますが、何がいいですか?」と言うので、えっと思いながら「じゃあ、アイスコーヒーで」と言うと、「ミルクと砂糖もご利用ですか?」と言うので、「ブラックで」と言った。
で、そしたら、
缶コーヒーブラック無糖を持ってきた。

まじか!?
書いてること何にも間違ってないような気もするけど、
マジか!?
ドリンク飲み放題って、缶コーヒーと缶さんぴん茶が飲み放題なのか!
マジか!?
シティーリゾートって・・・マジか!?
夜は殺陣教室
殺陣教室が終わって一旦ホテルへ戻って荷物を置いて、それから食事に出て、ホテルへの帰り道、前を歩いている年配の方も同じホテルへ向かっている感じだ。
歩き方から何となく武道をやってる感じがする。
ホテルへ入ると、私はすぐにエレベーターへ向かったが、年配の方はフロントへ向かった。
歩きながらフロントの方から声が聞こえた。
「有料ビデオは見れないのですか?」
スタッフ「見れないです。」
ただのエロジジイだった。
私がエレベーターに乗ると、そのジジイも急いで乗ってきた。
私の格好を見て、「何かやってるんですか?」と言った。
「剣術をやってます」と言うと、「剣術?」と言うので、「居合みたいなものです」と言った。
エレベーターがジジイが降りる4階に着いて、扉が開いた。
ジジイは扉を抑えたまま私に聞いてきた。
「沖縄でそんな場所あるんですか?」
「東京でやっているんですけど、昨年から月に一度沖縄でやってるんです」と言うと、
どや顔で「私は京都何とか何とかの藩士八段!」と言って、抑えた手を格好良く離して、決まった!という感じで去っていった。
藩士八段じゃねえんだよ!
てめえがさっき、有料ビデオ見れないかと言ってたのこっちに聞こえてんだよ!
京都の居合やってる人全員に謝れ!




第11章 『自制』
・なぜサムライは「感情を顔に出さない」のか?
武士道では、一方では、どんなことにも不平をいわない「不屈の精神」を養いました。
そして一方では、自分の悲しみや苦痛を表すことで、他人の楽しみや安らぎを邪魔しないようにする「礼」も学んでいます。
この二つが統合することで、ストイズムに見える日本人の国民的な気質が出来上がったのでしょう。
それでも日本人は、他国の人々よりずっと、感情に対しては敏感なのではないかと私は思っているのです。
だから自然に沸き上がる感情を抑えることで、大きな苦痛を感じています。
少年や少女たちが、どんな感情に対しても、込み上げる涙や苦痛の声を出さないように、幼い頃から教え込まれてきた様子を想像してみてください。
そうした努力は、神経を鈍くするのか?
あるいはもっと繊細にしてしまうのか?
サムライは、感情を顔に表すことを「男らしくない」と考えておりました。
「喜怒を色に表さらず」という言葉は、偉大な人格について言うときに使われています。
彼らは最も自然な愛情をも、常に抑制していました。
父親はその威厳を保つためには、息子を抱きしめることもできなかった。
プライベートな場所ならともかく、他人の前で夫が妻にキスをするなど、ありえなかったことです。
その行動が落ち着いていて、精神が平静であれば、どんな種類の感情にも乱されることはありません。
・口に出さず、ただ心で噛みしめる!
男性でも女性でも、その魂が揺り動かされたとき、最初に生まれる反応は、静かに自身が受け取った感覚を抑えることなのです。
「汝の霊魂の土壌が微妙なる思想をもって動くを感ずるか。それは種子の芽生える時である。言語をもってこれを妨げるな。静かに、密やかに、これをして独り働かしめよ
若いサムライが日記に書いている言葉です。
人の心の中にある思想や感情を、多くの技巧的な言葉で語ることは、それを心から信じていないし、熱心でない証拠とされました。
・抑えた感情を、古の日本人はどこで吐きだしたのか?
感情を抑えることが強く求められてきましたから、いにしえの日本人は、その安全弁として、詩歌の創作を見いだしました。
十世紀の歌人、紀貫之は次のように書いています。
「日本でも中国でも、歌は心に思うだけでは耐えられないときに、つくられたものなのだ」
たとえば我が子を失った一人の母親は、その辛い心をまぎらわせようと、子がトンボとりに出かけた様子を想像し、次のような歌を詠みました。
「トンボつり 今日はどこまで 行ったやら」
私たちの国の詩歌は、作者が傷口から一滴一滴その血を絞り出し、これを美しいビーズにして糸を通し、最高傑作に仕上げたようなものなのです。
個人的には、日本人はあまりにも興奮しやすく、また敏感すぎるので、絶え間ない自制心を認識し、鍛えていく必要性があったのだと信じています。
しかし自制心の訓練は、たやすく「行き過ぎになる」ことがありました。
行き過ぎた訓練は、湧き上がってくる温かい心を抑えてしまうこともあるし、素直な天性の心を歪め、偏屈で化け物じみた心を生み出してしまうこともあります。
どんなに高尚な徳にも、マイナス面や、まがい物はあります。
私たちはそれぞれの徳の中にあるポジティブな特質をとらえ、ポジティブな理想を追求しなくてはなりません。
自制心とは、我が国の表現でいえば「心の平静を保つこと」となります。


