


今日稽古場で節分の話になって、節分は2月3日と思っていたのだが、今年は2月2日らしいですね。
節分の日は毎年変わるものと知らなかった。
私だけか。
立春の前日が節分で、冬の節と春の節を分けるので節分ということらしい。
昔疫病が流行した時、悪霊を追い払う行事が行われ、後に豆をまくようになり、これが豆まき、鬼は外の起源だそうだ。
この人たちはいつも何でも知ってる。
凧揚げは戦に使われていたとか、双六は博打だったとか。
デーモン小暮さんの10万62歳まではいかなくても、175歳位なんじゃないかと思う。
私が得意気に1言うと、10返される。
因みにうちの教室では、「豆まき」ならぬ「豆斬り」を毎年やっている。
丁度日曜日が節分なので今年も日曜日にやりましょう。




銀座のほうにいい足袋屋があるということで、名前を聞くと「大野屋」というので、あの歌舞伎座近くの店かと思って教えてもらった住所へ行くと、銀座というより京橋のほうで、名前は同じ「大野屋」だ。
凄く趣のある建物だなと思ったら100年前の建物で国の文化財に指定されているようで、更に創業は200年を超える、かなりの老舗の足袋屋のようだ。
中へ入ると小さな店内に様々な足袋があって、興味を引く足袋が沢山ある。
普通の黒足袋が欲しかったので見せてもらうと、カラス足袋と言われる紺色っぽい足袋と、普通の黒色の黒足袋を見せてくれて、更に同じサイズでも4段階の幅がある。
幅の広い男性にも助かるし、足を細く綺麗に見せたい女性にもいいと思う。
足型を取って足袋を作ることもできる。
白足袋の需要が多いようなので、基本的には足が細く、小さく、きれいに見える様に底を狭く、爪先をふっくらと丸く仕上げているようだ。
2階で作って1階で販売しているというのもいい。
昔は足袋屋が沢山あったが、今は手作り販売している店は東京でも3軒位しかないようだ。
需要が少なくなってきたことと、後継者不足ということらしい。
こないだ着物の藤木屋さんへ行った時も店員さんが同じ事を行っていたが、その時は全然ピンとこなかったが、実際足袋屋さんで聞くと寂しく感じる。
多分専門店の存在を知らない人も多いと思うので、足袋を履く人は一度行ってみてほしい。



第9章 『忠義』
・世界でも類のない「武士の忠義」はこうして生まれてきた
封建時代の道徳は、あらゆる階級の人々が持っていた様々な倫理体系を、それぞれの階級が価値観として分かち合っている部分がありました。
けれども、この「目上の者に対する服従と忠義」という価値観は、武士のみが持っていた特徴的なものです。
グリフィス(アメリカの宗教家)が『日本の宗教』という本で、「中国では儒教の倫理が親への忠義を第一の義務としているのに対し、日本では君主に対する忠義が優先された」としているのは、全く正しい指摘でしょう。
・愛する者の命を捨ててまで武士が守ろうとしたもの
武士道において、家族とは一体で不可分のもの。
家族を構成するそれぞれの人間の利害を、分けることはできません。
この利害というものは、そもそもが愛情と結びついたものであり、自然で、本能的で、抗うことができないものです。
『日本外史』の中で頼山陽は、平重盛の困惑した心を、切々と語っています。
重盛の父、清盛は、法皇に対して謀反を起こしました。
「忠ならんと欲せば孝ならず、孝ならんと欲せば忠ならず」
(主君に忠義を尽くそうとすれば親に逆らうこととなり孝行できず、親に孝行しようとすれば主君に背くことになり不忠となる。)
武士道において、清盛のようなせめぎ合いが起こった場合、迷わずその「孝」を捨てて、「忠義」を選ぶことにはためらいがなかったのです。
女性たちもまた、忠義のために我が子の命を捧げる覚悟ができていたのです。
・命は一時的なもの、名誉は永遠のもの
武士道は、私たちの良心が、主君の奴隷になることを求めてはいません。
自身の良心を、主君の気まぐれな意思や酔狂、妄想などに捧げたものたちに、武士道は極めて低い評価を与えています。
無節操な諂いで取り入ろうとする者には「佞臣」、卑屈な迎合で主君に気に入られようとする者には「寵臣」と。
臣下が、主君の意見が間違っていると思ったとき、臣下の取るべき道は、あらゆる手段を講じて主君の誤りを説得することでした。
これに失敗した場合、臣下に残された道は、主君の思うままに自分を処置させることです。
サムライがこのような境遇に遭遇したとき、自身の言葉の誠実さを、自らが血を流すことによって主君の知性と良心に訴えることはごく普通に行われていました。
そうした理想の土台には「名誉」があり、サムライの教育と鍛錬は、それに基づいて行われていました。
