
そもそも兵法とは、「武家の法」である。
つまり、「武家の兵学・軍学・用兵術(戦闘術)の総称」である。
したがって、武将たるものは、特にこの道に精進するべきであり、たとえ士卒(家臣)の身分であっても、知っておかなければならないのである。
まず、「道」という概念に触れるが、世間でよく知られている道と言えば、仏道(仏教)や儒道(儒教)がある。
さらには、歌人・茶人・弓道家・その他もろもろの学芸技術に至るまで百花繚乱の観があり、人それぞれがいずれかの道の稽古に取り組み、心のおもむくままに楽しんでいる昨今である。
しかし、「兵法の道」に限っては、好きこのんで行っている人は稀である。
たとえこの道の才能がなく、不器用であったとしても、武士たる者は誰でも、身分相応に兵法の道に励まなければならないのだ。
武士が兵法の道に励むときは、どんな場合でも、人より優れることが基本条件になる。
例えば、一対一の斬り合いに勝つこと、あるいは数人を相手に戦って勝つことが、主君のためであり、自分自身のためでもあり、その結果として自身の名声が高まり、立身出世の糸口にもなるのである。
これが、「兵法の功徳」というべきものである。
習う方は、いついかなる時でも実践に役立つという気持ちで稽古し、教える方は、どんな場面でも役立つように手ほどきをするということ ー この精神こそが、兵法の目指す真の道である。


地之巻 初めに
私は自分の兵法の道を「二天一流」と命名し、長年鍛錬してきたが、思うところあって、初めて書物にして後々まで残したいと決意するに至った。
私は播磨国(兵庫県)出身の武士、名は新免武蔵守藤原玄信、齢は積もり重なって六十になる。
私はまだ若かったころから兵法の道に精魂を傾け、十三にして初めての勝負をした。
それ以降諸国をめぐり様々な流派の剣豪と出会って六十数回勝負を決したが、一度たりとも敗者となることはなかった。
その後、より高度な道理に辿り着こうとして、朝な夕なに鍛錬し精進を重ねたところ、自然な形で兵法の神髄を体得できた。
それは私が五十歳頃の事であった。
それ以降は、さらに追い求める道はなくなり、ただ日々を送る毎日であった。
私なりの兵法の流儀を、馬術、槍術などの諸芸のやり方にも当てはめてきたので、人生のすべてに師匠というものはない。
この書を執筆するに際しても、仏法・儒教の古来の言葉を引用したりすることはせず、また、軍記・兵法に記されている昔のことも用いず、ただ我が二天一流の見解によってのみ真実を追求することとし、天と観世音菩薩を我が心を映す鏡として筆をとり、書き始めるのである。
