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五輪書 地之巻 

地之巻 初めに

私は自分の兵法の道を「二天一流」と命名し、長年鍛錬してきたが、思うところあって、初めて書物にして後々まで残したいと決意するに至った。

私は播磨国(兵庫県)出身の武士、名は新免武蔵守藤原玄信、齢は積もり重なって六十になる。
私はまだ若かったころから兵法の道に精魂を傾け、十三にして初めての勝負をした。
それ以降諸国をめぐり様々な流派の剣豪と出会って六十数回勝負を決したが、一度たりとも敗者となることはなかった。

その後、より高度な道理に辿り着こうとして、朝な夕なに鍛錬し精進を重ねたところ、自然な形で兵法の神髄を体得できた。
それは私が五十歳頃の事であった。
それ以降は、さらに追い求める道はなくなり、ただ日々を送る毎日であった。

私なりの兵法の流儀を、馬術、槍術などの諸芸のやり方にも当てはめてきたので、人生のすべてに師匠というものはない。
この書を執筆するに際しても、仏法・儒教の古来の言葉を引用したりすることはせず、また、軍記・兵法に記されている昔のことも用いず、ただ我が二天一流の見解によってのみ真実を追求することとし、天と観世音菩薩を我が心を映す鏡として筆をとり、書き始めるのである。

五輪書

今から20年位前、私はある殺陣チームにいた。

とある日、古武道の先生が来た。

今後は武術を取り入れた殺陣をやっていくようだ。

数ヶ月後、元の殺陣に戻したい派と今の殺陣がいい派に分かれてしまった。

結局、今殺陣派がチームから抜けて、新しく武術チームを立ち上げる事になった。

それから武術の稽古が始まり今に至るのだが、その頃に読んだ「五輪書」の「指先を浮かす」が、
私の動きをスポーツから武術へ変えたきっかけになったと思う。

久しぶりに五輪書を読み返してみて、分かりやすくまとめていこうと思います。

武術に関わる方なら一度は読んでみてもいいかなと思います。

五輪書は、地・水・火・風・空の五章で構成され、各章が長いので、毎週短くまとめていきます。

あとがき

多く方が、特に武道に携わっている方なら、何となく知ってはいるが、詳しくは知らないというのが、新渡戸稲造の「武士道」だと思います。

こんな時代だからこそ多くの人に「武士道」を読んでほしい。
何て言いたくなるし、
一世代前までは日本らしさが残されていたと言ったりしますが、明治時代から、明治、大正、昭和、平成、令和、ずっと同じ事を言っているのですね。

最近の若者はピラミッドも作れない、
最近の若者はマンモスの一頭も捕らえられない、
それの逆感覚ですね。

とは言ってもやはり令和を生きる私には、昭和の時代は、人は武士道、神道、会社は日本的経営、職人気質が残されていたように思う。

職人気質と言ってもいわゆる職人と呼ばれる人たちだけではなく、あらゆる職業、例えば、タクシーの運転手は、お客さんを安全に快適に早く目的地まで届けるという使命感を持っていたし、学校の先生は、子供たちを成長させるという使命感を持っていた。

企業は三方良しで、売り手良し・買い手良し・世間良しで、自社だけの利益を追求するのではなく、共存共栄で、社会貢献の意識も強かったように思う。

私のよく行く武蔵小山の商店街がありますが、最近そこの昔からある眼鏡屋の真向かいに、人気のチェーン店の眼鏡屋が出店した。

昔の日本からすると考えられないですね。

欧米の経営法が日本でも主流になってきて、法律的に問題なければ何でもありになっている。

倫理や道徳が上にあって、問題が起こったときに法律がでてきてたのが、最近は法律が上に来ているように思えます。

お天道様の下では嘘をつかないとか、大手を振って歩けないような事はしないとか、いただきますと感謝するとか、そういう事を当たり前に教わっていたのが、大人とか、本とか、学校とか、地域とか、そういう事に触れる機会が少なくなってる気がします。

と言うことを明治時代からいつの時代も誰かが言っているわけで、これからも同じと思いますし、
「一皮むけば、そこにはサムライが現れます。」と本書にあるように、根っこには武士道があるというのが日本人の、日本の強みだと思います。

明治に新渡戸稲造さんが、武士道は桜の花のように散っていくだろうとか、その名を忘れられる日が来てもその香りは空中を漂っていると、哀しんでおりましたが、令和の今でも私の周りには武士道で生きている人たちが多くいます。

今後「武士道」を読む人が増え、多くの日本人が根っこに持ってる武士道を表に表す人が増えていくことを願います。

プロ野球開幕

稽古場でいよいよ明日開幕だね~とみんな言ってて、
いよいよ明日プロ野球が開幕するようだ。

色々話を聞いていたが、なんと、全員巨人が優勝すると予想している。
私は横浜の事しか知らないので、いい選手がたくさんいる横浜が優勝すると思っていた。

因みに私はこの20年で一試合だけ野球を観たことがある。
知人に誘われて、横浜とどこかのチームの試合を横浜球場で生で見た。
その程度だが、野球の事は知ったかぶりをする。

家に帰ってネットでプロ野球解説者の順位予想を見たら、殆ど巨人の優勝で、少し阪神。
横浜は元監督の一人だけだった。何ということだ。
ということで、ネットやユーチューブで情報を集めて私も順位予想をしてみる。

『セリーグ』
優勝:横浜
二位:阪神
三位:巨人
四位:中日
五位:広島
六位:ヤクルト

まず横浜は、
今まで弱かった投手陣が強くなった。特に中継ぎが弱かったが今年は弱いという程ではない。
昨年抑えの森原選手が開幕にいないのは不安だが、何とかなるっしょ。
平選手が復活して先発が7人いるので、石田選手を中継ぎにも回せるし、入江選手が復帰して中継ぎ抑えいけるし、新人の篠木選手も中継ぎ抑えいけると思う。
あと、一番のプラスは三浦監督が監督業に慣れてきて、だいぶ采配が変わってきた。

阪神は、
昨年からのマイナスがない。
各球団FAや怪我で主力選手が抜けているが、阪神だけマイナスがない。主力も衰える年齢ではないので、かなり戦力が充実している。投手も打者も弱点がない。

巨人は、
菅野選手が抜けたが、12球団NO1抑えマルチネス選手と、常勝球団の正捕手、甲斐選手が入団して、優勝した昨年よりさらに戦力が整った。
他球団からいい選手を取りすぎるので、3位にした。

中日は、
絶対的抑えのマルチネス選手と、先発の柱の一人、小笠原選手が抜けたので戦力はダウンしているが、
監督が変わったのがかなりプラスになると思う。

広島は、
先発の柱の一人、九里選手が抜けたが、先発は揃っているし、抑えの栗林選手も復帰して投手陣は充実している。
打撃陣はちょっと弱いが、それを補う投手陣の充実。評価は悪くないが、消去法で5位。

ヤクルトは、
今年は2位になると思っていたが、村上選手、塩見選手、山田選手という、中心選手3名が開幕に間に合わないので、これはちょっと厳しい。

『パリーグ』
優勝:ロッテ
二位:日ハム
三位:ソフトバンク
四位:西武
五位:オリックス
六位:楽天

戦力と勢いと監督で日ハムが優勝で、黄金時代が来るかなと思っていたが、ロッテが凄く気になる。
佐々木選手が抜けて、かえってチームが一つになる気がする。
ソフトバンクは圧倒的戦力だといわれるが、やっぱり正捕手が抜けたのは大きい。
西武は相変わらず打撃が苦しいが、昨年が悪すぎた感もあるし、投手陣の充実ぶりで四位。
オリックスは主力の怪我が多くて今年は苦しい。
楽天は、岩本解説者が、後ろ3枚が強くて、新しい先発投手も出てきて、10年に一人の選手と言われる宗山選手が入ってセンターラインが強くなって、辰巳選手もいて、現在の1軍選手を育てた2軍監督の三木監督が1軍監督になり、勝つための要素が揃っているということですが、すみません最下位予想とさせていただきました。

武士道 第17章

第17章 武士道の未来

・武士道が迎えた大きな危機
ヨーロッパの騎士道と日本の武士道を歴史的に比較すると、これほど似ているものは、世界史上でも稀なのではないかという気がします。
もし歴史が繰り返すとすれば、武士道の運命は、騎士道がたどってきたのと同じ道を歩むことになります。
ヨーロッパと日本が経験したことで、最も顕著に異なっているのは、ヨーロッパの騎士道は封建制度から引き離され、教会に引き取られることによって、新しい生命の葉を得たことです。
日本には、武士たちを養うのに十分な宗教がありませんでした。
だから封建制度という「母なる制度」がなくなったとき、武士道は孤児として置き去りにされ、自力で生きていくしかなかったのです。

すでに武士道に対しては、様々な権力や勢力が対抗しています。
民主主義が押し寄せてくる流れは抵抗しがたく、いかなる形の特権集団をも許しません。
そして武士道は、知識と文化を十分蓄えた権力を独占した人々によって組織された、特権集団の道徳精神だったのです。
現代社会が目指すのは統合であり、「特別な階級の利益のために設置された、あくまで個人的な義務」は容認できません。
ドラや太鼓の音とともに世界に登場した道徳は、「将軍も去り、王者も去ってしまった」とソフォクレスが悲劇に書いたように、ゆっくりと消え去ろうとしているのです。

・「武人の国」は永遠ではない
近年になって、人々の生活は大幅に豊かになりました。
今日において私たちが望むのは、武士に要求されたよりも、はるかに貴く、はるかに大きなものです。
今や孔子のいう人の思想や、おそらくは仏教の慈悲の思想をも超えて、キリスト教が説いている愛の観念のような広いものが必要となる時代になっているのでしょう。
化し、武士道に反対する人が増えるばかりではなく、武士道を敵視する人まで増えてきました。
いよいよ武士道には、名誉ある死に備えるときが来たのかもしれません。
1871年の廃藩置県の公布によって封建主義が公式に廃止されたことが、武士道の弔いの鐘を知らせる信号だったのでしょう。

・武士道の精神は不死鳥のように蘇る
日本が最近の清国との戦争に勝ったのは、村田銃とクルップ砲のおかげといわれています。
またこの勝利は、近代的な学校制度の成果ともいわれています。
使い古された格言を繰り返す必要もないのでしょうが、活力を与えるものは精神であり、それなくしては最良の器具も、殆ど益することがないのです。
最大限に改良された銃と大砲でも、使う人がいなくては発射することはできません。
最も近代化された教育でも、臆病者を英雄にすることはできません。
最も先進的な思想を持った日本人でも、一皮むけば、そこにサムライが現れます。
名誉と勇気、そしてすべての武士たちが大事にした徳目は、私たちの大きな遺産です。
そして現在の私たちに課せられた使命は、この遺産を守り、古来の精神を損なわないことなのです。
未来の私たちに課せられた使命は、その範囲を広げ、全ての行動や人間関係にそれを応用していくことなのです。

・いま私たちに、その「爽やかな香り」は届いていますか?
守るべき教義も形式も持たない武士道は、朝の風に吹かれて散っていく桜の花のように、やがて完全に消えてしまうかもしれません。
しかし、完全なる消失がその運命であるということは、ありえないのです。

武士道はその象徴である花のように、四方からの風に吹かれて散っていきます。
けれどもその香りは人類を祝福し、人生を豊かなものにしてくれるのです。
何年もの年が流れ、武士道の習慣が葬り去られ、その名さえ忘れられる日が来ても、その香りは空中を漂っています。
「路辺に立ちて眺めれば」、私たちは遥か遠くの見えない丘から漂ってくる、その爽やかな香りを、いつでも嗅ぐことができるのです。
クエーカー教徒の詩人、ホイッティアーが、美しい言葉のうちにこう歌ったように。
「いずこよりか知らねど、近き香気に、感謝の心を旅人は抱き、歩みを停め、帽子をとりて、天空よりの祝福を受ける」

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