
ー 兵法で武具の長所を知るという事
合戦用の武具は、どんなものでも戦う場所や状況に応じて、その武具の持つ利点を心得た使い方をしないと威力を発揮できない。
脇差は、狭い場所など敵との距離が接近している場面で有利なことが多い。
太刀は、どんな場所の勝負でも、だいたい有利である。
薙刀は、戦場では槍に劣るところがある。
槍が先手なのに対して、薙刀は後手に回るからだ。
槍・薙刀は戦場で威力を発揮する武具として合戦上では重要だが、共に狭いところでは利点が少ない。
弓は、合戦上における軍勢の進退状況にもよるが、槍隊その他の諸隊との連係動作の点で初動が容易であり、特に平地での合戦に有利である。
しかし、城攻めとか、敵との距離が三十六メートルを超えているようなケースでは役に立たない。
弓をはじめとする武芸は、見た目には百花繚乱だが、実践には無理である。
城内では、鉄砲の右に出る武具はない。
しかし、いったん合戦に突入すれば不適である。
弓の威徳の一つは、放った矢を目で確認できる点だ。
これに対し、鉄砲の弾丸は目に見えないところが物足りない。このことをよく心してもらいたい。
武具は、偏った好みで選んではいけない。
過剰であることは不足していることと同義である。
決して人真似をせず、自分自身の信念に沿い、自分の体にぴったり合って違和感のないものが一番である。
将・兵を問わず、好き嫌いだけで武具を選ぶのは良くない。
この事を胸に強く刻んでおくことだ。


ー 「兵法」の二文字に秘められた含蓄に精通すること
この道では、刀の使い方に秀でたものを「兵法者」と世間では言ってきた。
諸々の武芸の道の上達者で、弓を巧みに射るものを「射手」といい、鉄砲が上手く使いこなせれば「鉄砲撃ち」と言い、槍が上手に使えるものは「槍使い」と言い、薙刀に習熟した者を「薙刀遣い」と言っている。
しかし、刀の道に精通した者については「刀遣い」とか「脇差使い」とは言わない。
弓・鉄砲・槍・薙刀は、みな武士の武具であり、いずれも兵法の道に変わりはないのだが、兵法と呼んでいるのは刀だけであって、それ相応の説得力のある理由があるのだ。
霊剣・聖剣という言葉があるように、刀には威徳とも呼ぶべき霊験あらたかなものがあり、その威徳を身に付けることで世を治めたり自身を修めたりできるようになることから、刀を兵法の根源と見なすのである。
刀の威徳を身に付ければ、一人でも十人を相手にして勝つことができる。
かくのごとく、我が二天一流の兵法では、一対一の戦いも万対万の戦いも本質は同じと見なし、武士が心得るべき法を全て兵法と総称しているのである。
道ということについて述べるならば、儒学者・仏道者・茶道家・礼法家・能役者らにもそれぞれの道があるが、それらは武士の道には含まない。
武士の道ではないと言っても、それぞれの道について広く知ることは、どんなことにも通じることを意味する。
いずれの道においても、人間として自分自身を鍛錬することが肝心なのである。


ー 我が流儀を二刀流と名付けること
私が二刀流を編み出したわけは、武士ならば将であれ兵であれ、誰もが腰にじかに二本の刀を差すからである。
我が国においては、そのいわれを知っているいないにかかわらず、大小日本の刀を腰に佩びることは武士そのものである。
武士たる者が一命を懸けて勝負しなければならないときは、身に佩びた武具を一つ残らず役立てたいものだ。
武具を使うことなく、ただ腰に差したまま死んでしまうことは、何とも不本意である。
しかし、両手に物を持つと、右手も左手も思うように動かしにくくなる。
刀を片手で操る習慣がそれまでなかったからである。
槍・薙刀などの大きな武器は両手で持つしかないが、刀・脇差は、本来どちらも片手で持つ武具なのだ。
両手で刀を握って使うやり方は、本来の剣の道ではないのである。
片手では敵を斬り殺しにくいという場合は、両手を駆使して仕留めにかかればよい。
手間暇かけて思案することの程ではないのだ。
いずれの武具も使い慣れることが大事で、刀も片手で振り続けていれば勘どころを把握できるようになり、素晴らしい振りになってくるのである。
刀の道というのは、ただ早く振ればよいというものではなく、そのことは第二巻の「水の巻」に記すので、そこを読んで理解してもらいたい。
刀は広い場所で振り、脇差は狭い場所で振るのが有利だ。これが基本である。
我が二天一流の兵法が目指してきた神髄は、長い刀でも勝ち、短い刀でも勝つことである。
したがって、持つ刀の長さを定めていない。
どんな刀でも勝てると思う精神が、我が二天一流の道なのである。


「自由気ままなブログ15」です。占いや風水好きの者が書く「統一感の無い」、「頻度も決まって無い」自由な内容のブログです。
今回は、スーパー大安についてご紹介します。
スーパー大安とは、新月と大安が重なる開運日。
詳しい内容の前に新月と大安について。
新月:新しいスタートの日。
何かを始める、新しくものを買うことや新しい計画を立てて動き出すなど小さなことでも
種を撒くと良いとき。
大安:すべてのことに大吉。
特に結婚に関してはとても良い日とされるので、結婚式の日取りなどに選ばれる。
終日、凶となる時間はなく、仕事や旅行、引っ越しなど、様々なことに用いられる。
という良い日です。なんと、この二つが重なるスーパー大安は、年に2回だけ!
2025年は、「5/27と12/20」。
そして、開運行動は、可能な範囲で「ケチらずに自分にご褒美をしたり、贅沢にゴージャスに過ごすこと。」
普段より質の良いものや高価なものを購入することや普段よりも豪華な食事をすることなど。
新月と大安なので、何かを始めることや旅行に行ったりすることもOK。
逆に避けた方がいいのは、「普段通りに過ごす」や「セール品を買う」とかです。
つまりゴージャスに過ごすの逆です。ケチるとその運が染み付いてしまいます。
スーパー大安の日は、是非ゴージャスに過ごして楽しんでみてください。
2025年5月
◎ラッキーカラーレモンイエロー
◎ラッキーフード牛肉、山の幸
◎ラッキーアクション階段の上り下り
◎ラッキースポット山◎掃除すると良い場所トイレ
◎ラッキーアイテムベルト
◎ラッキーモチーフ三角、腕時計
◎ラッキーナンバー18
興味がありましたら出来る範囲で参考にしてみてください。


一 この兵法の書を五巻に分けた理由
我が二天一流の兵法の道を五つに分け、一巻ごとにその精髄を教授すべく、「地」「水」「火」「風」「空」の五巻にして以下に書き記すのである。
最初の「地の巻」では、兵法の道の概略、および、我が二天一流の見方や考え方を説き明かしている。
通り一遍の剣術を学んだだけでは、真の剣術の道は極めがたい。
道作りに例えるなら、まず地面を平らにならし、その上に石を敷き詰めてしっかり基礎固めをする。
そういった意味合いで、私は第一巻を「地の巻」と名付けたのだ。
第二巻は「水の巻」である。
生命の源である水を兵法の手本とし、心を水にするのである。
「水は法円の器に従う」と言われるように、水は四角い器にも丸い器にも合うように自在に形を変える。
そんな水の、青く美しい色や清らかに澄んださまを心に強く宿しながら、我が二天一流の兵法をこの「水の巻」に書き記すのである。
第三巻は「火の巻」である。
この巻では戦いについて書く。
火には大小強弱があり、火勢のすさまじさや変化の激しさがあり、それが戦いに通じるからだ。
戦いには、一対一の勝負もあれば、万対万という規模の大集団戦もあるが、心がけることは同じだ。
どちらの戦いも、ある局面では大胆に、ある局面では繊細に考えなければならない。
この意味をよく吟味すべきである。
この「火の巻」で扱う戦いは、火のように変化が激しく、一瞬を争うので、日々の鍛錬を怠らず、十分習熟した上で、平常心で敵と対峙することが、兵法の極意となる。
そうした観点での戦いや勝負のありようを、「火の巻」に書き示す。
第四巻は、「風の巻」である。
この巻を風とした理由は、我が二天一流とは関係のない他流派の兵法について書くからだ。
風ということでは、昔風、今風、様々な家風等があるので、世間に存在する兵法とそれらの流儀の技を明確に書き記すのである。
これが「風の巻」だ。
他の流派を知らずして、己の技を上達させることは難しい。
我が二天一流の兵法は、道理と技の点でも他の諸流派とは明らかに一線を画している。
ついては、世間一般の兵法がどんなものであるかを知らしめるために、「風の巻」として他流派の事を書き記すのである。
第五巻は「空の巻」である。
この巻を「空」とした理由だが、空という以上、奥もなければ入口もないという意味だ。
空が何であるかを知るには、勝つ道理が理解できたら、一度その道理から離れるとよい。
我が二天一流の兵法の道を学ぶと、やがて自在に動けるようになり、人並外れた技能もおのずと習得でき、機が熟せば「拍子」についての理解も深まる。
そしていつしか、我が手に剣を握っていること、あるいは、剣が我が手にあるということすら頭から消え、一種の無我の境地となって敵と勝負しているようになる。
これが空の道である。
意識することなく自然に真の兵法の道へ入っていく方法を、この「空の巻」に書き記す。
