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武士道 第12章

第12章 『「切腹」と「仇討ち」の制度』

・切腹は決して「特別な風習」ではない

「自害」の問題から始めたいのですが、私が述べるのは、「腹切り」として外国人の方によく知られている「切腹」に限った思考です。
その意味は、自らの腹部を切って自殺することになります。
確かに外国人の耳には、「腹切り」という言葉の最初の響きは、あまりにも奇妙に感じられます。
けれども、シェークスピアを学んだことがあれば、それほど驚くに値するものでもないと思うのです。
現に『ジュリアス・シーザー』の中で、シーザーを殺したブルータスは、口入っています。
「あなたの霊魂があらわれ、我が剣を逆さまにして、我が腹を刺そうとする。」
日本人の心には、このような切腹に似た死に方は、最も高貴に感じられ、最も心を打つのです。
それを見た私たちが、嫌悪や嘲笑を感じることはありません。

・腹を切り裂くのは「魂」を公にさらすため

切腹に対して私たちが何も不合理を感じないのは、「そうした例がたくさんある」というだけでは説明できません。
とくに身体のこの部分を切るということに関しては、実は古代からの解剖学的な信念も基礎になっているのです。
「霊魂と身体の宿る場所は、腹の中にある」ということが、様々な文化の中で言われてきました。
「私は魂が鎮座している場所を開き、あなたにその様子を見せましょう。私の魂が清らかなのか、それとも汚れているのか。どうぞご自身でご確認ください」
切腹にはそういう意味があるのです。
私は宗教的な意味でも、倫理的な意味でも、自殺の正当性を認めてもらおうとしているわけではありません。
ただ、武士たちにとっては、名誉を重んずる信念が、自らの命を棄てるのに十分正当な理由を与えました。

・ソクラテスの名誉ある死は武士道に通す

私たちは弟子たちの話から、彼がどのように国家の命令に従ったかを詳細に知ることができます。
ソクラテスは倫理的には理不尽だと知りながら、逃亡できたにもかかわらず、命じられた毒杯を手に取りました。
ソクラテスの死は、一般的には「処刑」であり、肉体的には何も強制されませんでしたが、裁判官の判決は絶対でした。
「お前は死ぬべきだ。ただし、お前自身の手によって死ね」
ソクラテスはそう言われたのです。
自殺という言葉が自分自身の手によって死ぬことを意味するなら、ソクラテスは明らかに自殺をしたのです。
しかし誰も彼に「自殺の罪」を背負わせる者はいませんでした。

読者の皆様が「切腹」を理解するのにも、単純にそれを「自殺の方法」と考えないことが必要となります。
切腹は法律上、また儀礼上の制度でした。
武士がその罪を償ったり、過ちを謝罪したり、汚名から逃れたり、誠実さを証明したりする方法として続けられてきました。
だからこそ切腹は、とくに武士の死には相応しいものとされてきました。

・サムライは決して「死に急ぐ」のではない

それでも真のサムライにとって、死に急いだり、死を請うことは、卑怯なこととされていたのです。
山中鹿之助という一人の武士は、幾度もの戦いに敗れ、平野から丘へ、森から洞窟へと追われました。
暗い木のくぼみで、飢えと孤独に耐え、刀は欠け、弓は折れ、矢は尽きはてた状況でも、彼は死ぬことは臆病だと考えました。
このサムライはこんな歌を詠んだのです。
「憂き事の なほこの上に 積れかし 限りある身の 力ためさん」
(辛いことよ、もっとこの上に訪れるといい 自分の限りある身がどこまで耐えられるのか、ためしてやろう)
武士道が教えたのは、まさにこのことなのです。
それは、「忍耐と純真な信念をもって、あらゆる困難や逆風に立ち向かい、それを乗り越えていく」ということでした。
真の名誉とは、天命を果たすことであって、そのために死を招くことは、決して不名誉なことではありません。
これに対して、天が与えたものを避けて死ぬことは、本当に卑怯なことではありませんか!

・「復讐」と「仇討ち」の大きな違い
これから私たちは「仇討ち」、あるいは「復讐」について見ていきます。
古代エジプトの神話で、オシリス神は息子であるホルス神に言います。
「この地上で最も美しいものは何か?」
「それは親の仇を討つことです」と答えたホルスは、まさに父オシリスを殺した敵を滅ぼしました。
ただ日本人であれば、ここに「主君の仇を討つこと」という言葉を加えるでしょう。

・四十七士が今なお日本人に愛されるのはなぜか?

武士道は常識の通りに敵討ちの制度を設け、日常の法律では裁けない事件に、論理的な対処ができるようにしました。
四十七士の主君は、死罪を命じられ、切腹します。
そこには吉良上野介から受けた不正があったのですが、そのことで控訴するような裁判所は日本には存在しませんでした。
だから唯一の最高裁判所として存在する「仇討ち」に訴えたのです。
彼らもまた日常の法によって死罪となりますが、民衆の中にある本能は異なった判決を下しました。
だから現在になってもなお、泉岳寺にある彼らのお墓には、花や線香が絶えることなく、その名は永遠に記憶されているのです。
しかし、復習が正当と見なされたのは、目上の者や恩のある者に対する信義が断ち切られたときのみ。
自分自身が受けた危害や、妻子が受けた危害に対しては、それを我慢し、許すべきとされたのです。

武士道 第11章

第11章 『自制』

・なぜサムライは「感情を顔に出さない」のか?

武士道では、一方では、どんなことにも不平をいわない「不屈の精神」を養いました。
そして一方では、自分の悲しみや苦痛を表すことで、他人の楽しみや安らぎを邪魔しないようにする「礼」も学んでいます。
この二つが統合することで、ストイズムに見える日本人の国民的な気質が出来上がったのでしょう。
それでも日本人は、他国の人々よりずっと、感情に対しては敏感なのではないかと私は思っているのです。
だから自然に沸き上がる感情を抑えることで、大きな苦痛を感じています。
少年や少女たちが、どんな感情に対しても、込み上げる涙や苦痛の声を出さないように、幼い頃から教え込まれてきた様子を想像してみてください。
そうした努力は、神経を鈍くするのか?
あるいはもっと繊細にしてしまうのか?

サムライは、感情を顔に表すことを「男らしくない」と考えておりました。
「喜怒を色に表さらず」という言葉は、偉大な人格について言うときに使われています。
彼らは最も自然な愛情をも、常に抑制していました。
父親はその威厳を保つためには、息子を抱きしめることもできなかった。
プライベートな場所ならともかく、他人の前で夫が妻にキスをするなど、ありえなかったことです。
その行動が落ち着いていて、精神が平静であれば、どんな種類の感情にも乱されることはありません。

・口に出さず、ただ心で噛みしめる!

男性でも女性でも、その魂が揺り動かされたとき、最初に生まれる反応は、静かに自身が受け取った感覚を抑えることなのです。
「汝の霊魂の土壌が微妙なる思想をもって動くを感ずるか。それは種子の芽生える時である。言語をもってこれを妨げるな。静かに、密やかに、これをして独り働かしめよ
若いサムライが日記に書いている言葉です。
人の心の中にある思想や感情を、多くの技巧的な言葉で語ることは、それを心から信じていないし、熱心でない証拠とされました。

・抑えた感情を、古の日本人はどこで吐きだしたのか?

感情を抑えることが強く求められてきましたから、いにしえの日本人は、その安全弁として、詩歌の創作を見いだしました。
十世紀の歌人、紀貫之は次のように書いています。
「日本でも中国でも、歌は心に思うだけでは耐えられないときに、つくられたものなのだ」
たとえば我が子を失った一人の母親は、その辛い心をまぎらわせようと、子がトンボとりに出かけた様子を想像し、次のような歌を詠みました。
「トンボつり 今日はどこまで 行ったやら」
私たちの国の詩歌は、作者が傷口から一滴一滴その血を絞り出し、これを美しいビーズにして糸を通し、最高傑作に仕上げたようなものなのです。

個人的には、日本人はあまりにも興奮しやすく、また敏感すぎるので、絶え間ない自制心を認識し、鍛えていく必要性があったのだと信じています。
しかし自制心の訓練は、たやすく「行き過ぎになる」ことがありました。
行き過ぎた訓練は、湧き上がってくる温かい心を抑えてしまうこともあるし、素直な天性の心を歪め、偏屈で化け物じみた心を生み出してしまうこともあります。
どんなに高尚な徳にも、マイナス面や、まがい物はあります。
私たちはそれぞれの徳の中にあるポジティブな特質をとらえ、ポジティブな理想を追求しなくてはなりません。
自制心とは、我が国の表現でいえば「心の平静を保つこと」となります。

武士道 第10章

第10章 『侍の教育と訓練』

・武家の本業はあくまでも「戦うこと」

武士の教育において、第一に重んじられてきたことは、品性を確立すること。
思慮深さ、賢さ、雄弁さといった知的才能は、放っておかれました。
美芸をたしなむことも、教育の中で重んじられ、文化人として欠くことのできないものですが、装飾品のようなものだったのでしょう。
武士を支えていた三つの柱は「智」「仁」「勇」であり、サムライは本質的に、行動の人だったのです。

学問はその範疇の外。
基本的にには、「戦う」という仕事に役立つ場合のみ、学問が貴ばれました。
宗教や神学は、それが勇気を養う手助けになる場合のみその力を借ります。
哲学と文学は、知的な訓練の主要な要素となってはいましたが、哲学は品性を高めるため、文学は高ぶる心を癒すためで、軍事や政治の知識を身に付けるためではなかったのです。

武士の教育のカリキュラムが、次のような科目から成り立っていたことを見ても驚かないでしょう。
剣術、弓術、柔術、馬術、槍術、兵法、書道、道徳、文学、歴史。
これらが主な科目になります。
このうち「柔術」と「書道」に関しては、多少の説明が必要でしょう。
「書」に重きが置かれた理由は、書道によって描かれる文字は、その人の品格を映し出しているとされていました。
「柔術」について説明すると、攻防の技術に解剖学的なものを応用したものと言えます。
その目的は敵を殺すことではなく、動きを封じることにあったのです。

・サムライに「金儲けの知識」など必要ない!

軍事の教育として本来必要なのに、武士道にはまったく欠けてた勉強項目が「数学」でした。
武士道というものは、経済の実利を重んじなかったのです。むしろ貧困を誇りとしていました。
武士は、お金そのものを嫌い、金儲けや貯蓄の術を賤しみました。
武士にとって儲けたお金は、汚いものと考えられます。
財産となる黄金も、また自らの生命も、それを惜しむ者は、無駄に使うものと同様に蔑まされたのです。

こうした理由もあり、武士の子供たちは、経済の事を全く無視したのです。
それについて語るのも「趣味の悪いこと」とされ、貨幣の価値の違いも分からないようなことが、良い教育を受けたしるしのようにいわれます。
けれども、軍勢を集めたり、恩賞を与えたり、知行を分配するには、どうしても数字の知識が必要になります。
だからお金の計算はすべて下の身分の者に任されました。
実際、多くの藩の財政は、下級武士や僧侶によって行われています。
思慮ある武士は軍資金を作ることの重要性をよくわかっていたのですが、「お金の価値がわかっていること」を徳にまで高めようとは考えていなかったようです。

武士道において倹約が求められたことは確かですが、それは経済的な理由からではなく、忍耐力を養うためでした。
贅沢は人にとって最も慎むべきことと考えられ、武士の生活には徹底的な質素さが求められました。
このように金銭への愛着が嫌われましたから、武士道は、根本にお金が絡んだありとあらゆる問題を免れることができました。
そのため我が国の役人は、長い間、腐敗や汚職にまみれずに済んできたのです。

・だから貧困を貫いた武士道の教師たち

知性ではなく品格、頭脳でなく魂というのが、教育の目指すところになると、それを教え、育む役を担う教師の職業は、非常に神聖なものとなっていきます。
「私を生んでくれたのは親であるが、私を作ったのは教師だった」
武士はこのように考え、教師に対する尊敬の念は、きわめて高いものになったのです。
若い武士から、そういった信頼と尊敬を得たものは、十分な学識を持っているだけでなく、優れた人格者でならなければなりませんでした。

武士は、お金のことも、価格のことも考えずに、他人に尽くすことが自分の仕事だと信じていたのです。
宗教者にせよ、教師にせよ、精神的な奉仕をする仕事は、その報酬を金や銀に置き換えることができません。
だから価値がないのではなく、だからこそ大きな価値があります。

かつては毎年、特定の時期に、生徒が先生にお金や品物を贈る習慣がありました。
これらは報酬ではなく、お礼として贈られたものです。
教師たちはいつも厳格さに努め、名誉ある貧乏を誇りにしており、あまりにも威厳があったため肉体労働はできず、お金を乞うにはプライドが高すぎました。
だから教師にとって、金品を贈られることは、非常にありがたいことでもあったのです。
彼らは逆光に屈せず、高邁な精神と、威厳のある人格を持っていました。
まさに学問を修めることによってたどりつく理想の体現者であり、武士道には必ず要求され、鍛錬に鍛錬を重ねて鍛え上げていく「克己心」の生きた見本だったのです。

講師Xの「自由気ままなブログ15」

「自由気ままなブログ15」です。
占いや風水好きの者が書く「統一感の無い」、「頻度も決まって無い」自由な内容のブログです。

今回は、2025年2月の開運行動をご紹介します。
1番は、旅行です。2025年は、1年通して旅行に行くのに良い年なのです。
その中でも特に「1月5日~2月2日」、「2月3日~3月4日」、「11月7日~12月6日」が旅行に行くのに良い期間となります。さらに「2月2、10、19、28日」が「出発するのに良い日」なのです。3つの期間のどれかに行くだけでも吉作用をより受けられますが、この4日間に出発するとさらに吉作用を受けられます。
他にも「出発するのに良い日」はありますので、別の機会にご紹介します。

旅行に行く方位は、吉方位がオススメです。自宅から九星気学ごとにあるその月に行くと吉作用が強い方位のことです。
吉方位は、ネットで「九星気学 吉方位」などで検索して調べてみてください。
また、方位を確認する際は、方位線があって方位を確認し易い「あちこち吉方位マップ」がオススメです。

場所は、ラッキースポットがオススメです。2025年は、二黒土星の年となり「外より内」という特徴があるため海外よりも国内、国内の中でも「日本庭園」のような日本を感じられる所がオススメです。特に2月は二黒土星の月であり外より内の特徴がより強い月になるため日本庭園がオススメです。

距離は、ベストは出来るだけ遠い方が良いですが日帰り出来る距離でも問題ないです。

期間は、最も効果を得られるのは7日間以上の滞在です。それより短い滞在期間や日帰りでも7日間以上より効果は薄いですが吉作用を得られるので問題ないです。

泊まる場所は、ホテルより日本を感じる旅館がオススメです。

注意点は、2つ。1つ目は、ネガティブにならないようにすることです。つまらない、楽しくないといったネガティブは良い気を妨げるため吉方位に行っても効果を得られなくなります。そのため、ポジティブに楽しむことを心掛けてください。
2つ目は、1人で行くことです。複数人の場合、九星気学のタイプが異なり、行く場所が凶方位の人がいて影響を受けたり、喧嘩や辛いことが起きたりと楽しめないためです。そのため、1人で行く方が良いです。あくまで吉方位に行って吉作用を得る吉方位旅行での注意点であって、家族や友人など複数人で行って楽しみ、思い出を作る旅行そのものは開運行動なので、どんな旅行も絶対1人が良いという訳ではありません。

注意点に気を付けて吉方位旅行を楽しんでみてください。

◎ラッキーカラー
緑、黄色、パステルイエロー

◎ラッキーフード
みかん、ショートケーキ、トマトパスタ、日本独自のもの

◎ラッキーアクション
料理をする、

◎ラッキースポット
日本庭園、キャンプ場、

◎掃除のポイント
キッチン

◎ラッキーアイテム
和柄のハンカチ

◎ラッキーモチーフ
チェック柄

興味がありましたら出来る範囲で参考にしてみてください。

武士道 第9章

第9章 『忠義』

・世界でも類のない「武士の忠義」はこうして生まれてきた

封建時代の道徳は、あらゆる階級の人々が持っていた様々な倫理体系を、それぞれの階級が価値観として分かち合っている部分がありました。
けれども、この「目上の者に対する服従と忠義」という価値観は、武士のみが持っていた特徴的なものです。
グリフィス(アメリカの宗教家)が『日本の宗教』という本で、「中国では儒教の倫理が親への忠義を第一の義務としているのに対し、日本では君主に対する忠義が優先された」としているのは、全く正しい指摘でしょう。

・愛する者の命を捨ててまで武士が守ろうとしたもの
武士道において、家族とは一体で不可分のもの。
家族を構成するそれぞれの人間の利害を、分けることはできません。
この利害というものは、そもそもが愛情と結びついたものであり、自然で、本能的で、抗うことができないものです。

『日本外史』の中で頼山陽は、平重盛の困惑した心を、切々と語っています。
重盛の父、清盛は、法皇に対して謀反を起こしました。
「忠ならんと欲せば孝ならず、孝ならんと欲せば忠ならず」
(主君に忠義を尽くそうとすれば親に逆らうこととなり孝行できず、親に孝行しようとすれば主君に背くことになり不忠となる。)

武士道において、清盛のようなせめぎ合いが起こった場合、迷わずその「孝」を捨てて、「忠義」を選ぶことにはためらいがなかったのです。
女性たちもまた、忠義のために我が子の命を捧げる覚悟ができていたのです。

・命は一時的なもの、名誉は永遠のもの

武士道は、私たちの良心が、主君の奴隷になることを求めてはいません。
自身の良心を、主君の気まぐれな意思や酔狂、妄想などに捧げたものたちに、武士道は極めて低い評価を与えています。
無節操な諂いで取り入ろうとする者には「佞臣」、卑屈な迎合で主君に気に入られようとする者には「寵臣」と。
臣下が、主君の意見が間違っていると思ったとき、臣下の取るべき道は、あらゆる手段を講じて主君の誤りを説得することでした。
これに失敗した場合、臣下に残された道は、主君の思うままに自分を処置させることです。
サムライがこのような境遇に遭遇したとき、自身の言葉の誠実さを、自らが血を流すことによって主君の知性と良心に訴えることはごく普通に行われていました。
そうした理想の土台には「名誉」があり、サムライの教育と鍛錬は、それに基づいて行われていました。

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