ー 兵法の身なりのこと
我が二天一流の兵法が求める姿勢は、以下のようであるべきだ。
顔はうつむかず、あおむかず、傾けず、歪めず、額にはしわを寄せず、眉の間にしわを刻んで、眼球を動かさないようにし、瞬きをしないように心掛けて、目は少し細めるようにし、穏やかな顔つきで、鼻筋を真っすぐにして下顎をやや突き出す感じにする。
首は後ろの筋を真っすぐにして、うなじに力を入れ、肩から下は全身が一体になっているように感じられるようにし、両肩を下げ、背筋をまっすぐにして、尻は出さず、膝から足先まで力を入れ、腰がかがまないように腹を出すのである。
我が二天一流の兵法では、平常の身のこなしを戦いの時の身のこなしとしている。
つまり、戦いの時の体の動かし方は、平常と同じようにするのがベストなのである。
ー 兵法の心の持ちようのこと
二天一流の我が兵法では、戦時の心の持ち方が平常時と違わないように戒めている。
平生であれ、戦闘の場であれ、少しも変わることなく、緊張することもなく緩ませることもなく、心眼を偏らないよう中心に据えてることで、体が変幻自在に即応できる心理状態を保てるように心掛けなければならない。
動作は静かでも心は停止させず、動作が早いときでも心は少しも急がず、心が体の動きに影響されないように、体は心の動きに影響されないようにするのである。
心の持ち方にはよく気を配り、体の動作にはいちいち気を奪われないようにし、心の充実に努め、と言っても、心に必要以上の余裕が生じるようにするのではない。
心の奥の信念はあくまでも強く、それでいながらその本心を相手に嗅ぎ取られないようにしなければならない。
心眼が濁ることのないように視界を広げ、知恵を研ぎ、天下国家の正義・不正義をよくわきまえ、物事の善悪を知り、様々な芸能や武芸に触れ、世間の人間に騙されることなどないようにして初めて、兵法の知恵を習得できるのである。
戦場という全てがあわただしい状況にあっても、我が兵法の道理をよくわきまえ、不動の平常心を保てるよう、絶えず工夫せよ。
我が兵法である「二天一流」は、水にヒントを得た「利方の法(勝つ方法)」を実践することから、「水の巻」と名付け、ここにその太刀論の神髄を書き記すものである。
以下に私が書き記すことを、一言一句たりともないがしろにすることなく、深く吟味し会得してもらいたいものだ。
全ての道に言えることであるが、いい加減な気持ちで学ぼうとすると、本来の道から外れてしまうことが多い。
そうした過ちを犯さないためには、大所高所(広い視野と高い観点から全体を見通すこと)に立った読み方をすることが大切である。
そのことを念頭に置いて、ここに書いてあることをいつも自分自身の身に当てはめて理解することを心がけてほしい。
読むだけで十分とか、習うだけで満足などと決して思わず、書かれたことだけを真似すればよいというような横着な考えも捨ててもらいたい。
必ず何かを習得するのだという強い意志をもって、勘どころを見つけ出すように努め、常に当事者の感覚で、日々工夫し、研鑽に励むように。
ー 以上に述べたように、我が二天一流の兵法の道は、朝な夕なに修練を積むことによって、自然と視野も広がり、「合戦および個人戦の兵法」として世に伝えるのである。
我が兵法を学ぼうと思う人には、道を行う次の「九か条の戒め」を心がけてほしい。
第一条 よこしまな心を起こさず、正しいことを考えること。
第二条 兵法の道は鍛錬にあるということ。
第三譲 諸芸に触れること。
第四条 様々な職能の道を知ること
第五条 物事の利害損害を知ること。
第六条 物事の本質を見極められる眼力を持つこと。
第七条 目には映らないところも推理し、察知すること。
第八条 微細な変化・動きも見逃さないこと。
第九条 役立たないことはやらないこと。
およそこうしたことを心にかけて、兵法の道を鍛錬しなければならない。
我が二天一流の兵法を極めようとする気力をみなぎらせ、真の兵法の道に励んで、腕力で相手に打ち勝ち、眼力でも相手を圧倒し、さらなる鍛錬を重ねることで全身を自由自在に動かすことができれば、肉体的にも相手を圧倒できるし、またこの道に習熟していれば、闘魂でも相手をしのげるはずだ。
いわゆる心技体の全てで相手を凌駕できていれば、どうして負けることがあろう。
また、優れた部下を持つ点で勝ち、多くの軍勢を動かす点で勝ち、一身を正しく律する道でも勝ち、藩を治めることでも勝ち、領民を安堵させることに勝ち、世の中に礼儀作法を徹底するということでも勝つというように、いかなる道においても、どんな相手にも負けないという道理を悟って、我が身を正しく保ち、名を上げるように刻苦勉励するのである。
それが、我が二天一流の兵法の道である。
1645年5月12日 新免武蔵
ー 兵法の拍子のこと
どんな物事にも「拍子」というものがあるが、なかでも「兵法の拍子」は、鍛錬していないと体得するのは難しい。
世の中によく知られている拍子では、能の舞の拍子、楽人が奏でる管弦音楽の拍子などがあるが、これらは拍子がうまく調和することで見事な拍子となる。
武芸の道を見ても、弓を射たり、鉄砲を撃ったりすることから乗馬に至るまで、全てに拍子・調子がある。
拍子は重要だ。諸芸能でも、拍子をないがしろにすることはありえないし、目に見えないものにも拍子がある。
「兵法の拍子」にも、様々な種類がある。
まず自分自身に合う拍子は何であるかを知り、合わない拍子は避け、大小・遅早の拍子の中で自分に合う拍子を知り、「間の拍子」を知ることで、相手の拍子に乗ることなく、逆に相手の拍子を狂わせることに専念することこそが、兵法の道である。
この「相手の拍子を崩す拍子」を体得しない限り、その兵法は確実なものにはならないのだ。
兵法を駆使した戦いでは、その折々の敵の拍子を知り、敵の意表をつく拍子を意識して目には見えない「空なる拍子」を我が二天一流の兵法の知略で生み出して相手に勝つのである。
本書のどの巻にも、もっぱら拍子のことを書き記すので、その内容をじっくり読みこなして、よく鍛錬してもらいたいものである。