今日は抜刀した瞬間に斬る、いわゆる「抜き打ち」の稽古。
抜き打ちテストの「抜き打ち」です。
元々刀に由来した言葉で、「抜き」は刀を抜くことで、「打ち」は斬ることです。打刀の打ちですね。
抜いた瞬間相手を斬ることです。
この抜き打ちがなかなか難しくて、
型通りちゃんと鞘引きを使って斬れるようにしたいですね。
鞘を出さずに腰を左に捻ったところから腰を使って斬ると斬れるのですが、そうすると一体型の稽古は何だったのだと思ってしまう。
私の知っている限りでもYouTubeで見る限りでも誰もできない。
空手もそうですが、型と組手は別というのが常識になっていますが、それも型好きな人にとっては寂しいので、頑張って鞘引きで斬れるようにしようと思います。
袴に合わせていつもは雪駄かショートブーツを履いていますが、夏になるとトレーニングを兼ねて1本歯の下駄を履いています。
今年はウォーキングがてら今日から履き始めることにしました。
一本歯は凄く良い稽古になります。
バランス感覚は勿論ですが、体を纏める感覚や、蹴らない歩き方の稽古にもなります。
あと、一本下駄の歯の部分は土台に差し込んでいるだけなので、緩んできて4・5年に一度歩いている途中で突然抜けてしまうことがあるのですが、その時に瞬時に反応して膝を抜いて着地しなければなりません。勿論反応が遅いと転んでしまいます。普通に転ぶよりも一本下駄を履いて転ぶ方が恥ずかしい気がします。
しかも、もし転んでしまったら4・5年リベンジの機会を待ち続けなければなりません。
これは精神的に良くない稽古ですね。
最近「セルフコンパッション」という考え方が注目されています。
直訳すると、自分への思いやりです。
勿論、他者への思いやりは持っている前提です。
大切な人が苦しんでいる時にその人を思いやるのと同じように、自分に対して思いやりを持つということです。
私は間違うこともあるし、人を傷つけてしまうこともあるし、落ち込んでしまうこともある、それを受け入れた上で、そうなるのは私だけではなく、皆もそうなるし、人間はそうなるものだと考えると大分心が軽くなると思います。
勿論、だから何をしてもオッケーとか、だから何にもしないということとは違います。
そう考えることにより、むしろやるべきことのモチベーションが上がったり、様々な人に差別なく優しい気持ちで接することができたり、感謝を感じるものが増えてきたりします。
それにより周りの出来事に振り回されて自分の気持ちが落ち込むことが減っていきます。
気合いだ!気合いだ!気合いだ!と気合いを入れるより、今の時代はこっちの方が良さそうですね。
あと、ペットを飼うのもいいと思います。
猫なんか可愛くていいと思います。
冬はあったかいし、単純に飼いやすいし、単純に癒されるし。
ただ、ペットショップで飼うのは考えた方がいいようです。
以前、空手の子が誕生日に犬を買ってもらうと言っていたので、「ペットショップに見に行くの?」と聞いたら、「ペットショップで買うと、結果的に可愛そうな動物を増やしてしまう」と言っていたので調べてみると、確かに目の前の可愛い子達だけではなく、その裏まで広く考えなければいけないと思わされました。
以前はペットショップで売れ残ると保健所などの自治体に持ち込まれて処分されるのが主流だったようですが、現在は自治体がそれを拒否できることになったようです。
それもひどい話ですが、その結果、有料で引き取ってくれる引き取り屋が現れたようです。
「一生面倒をみます。」ということですが、どうなんだろうか。