
「自由気ままなブログ15」です。
占いや風水好きの者が書く「統一感の無い」、「頻度も決まって無い」自由な内容のブログです。
今回は、2025年の運勢をご紹介します。
乙巳(きのとみ) 二黒土星(じこくどせい)である2025年は・・・と、その前に新年の始まりについて、暦の上では1月から新年ですが、占いでは節分を区切りとし節分の次の日である立春から新年となります。節分は立春の前日とされており、地球が太陽の周りを一周する365.2422日と暦の1年365日の差から2月3日になったり2月4日になるとのこと。このことから2025年は2月3日が立春で前日の2日が節分とされています。節の分けめと書いて節分。年が終わって年の始まりとなります。
節分と言えば、豆まきして年の数の豆を食べて恵方巻きを食べること!この記事を読んでいるみなさんはどんな節分を過ごされましたか?節分が過ぎ、立春を迎えて2025年はどんな1年になるのでしょうか。
◎どんな1年になる?
◎注目される人ってどんな人?
◎開運行動
◎ラッキースポット
◎ラッキーフード
◎ラッキーカラー
◎ラッキーナンバー
◎吉方位、凶方位
◎勝手に今年の漢字
◎どんな1年になる?
〇2023年に始めて継続したものが跳ねる(結果が出る)。
「兎、辰、巳」、「兎」跳ねるために始めて「辰」水面下(見えないところ)で継続して「巳(蛇)」蛇口からでる。
2023年に始めて2024年の間も継続してきたことがあればそのまま継続すると2025年で結果が出ます。例えば、コンテストや大会で優勝する、舞台や映像作品に出演する、資格取得のために勉強をしていたいりと目標を持って取り組んでいたことがあれば、是非挑戦してみてください。例え、そこで輝かしい結果がでなくても挑戦できるまでに成長したことも結果ですので落ち込まずに、ここまで成長した自分を褒めてください。
継続しなければ力にはなりませんし、塵も積もらせなければ山にはなりません。また継続して取り組んで次の機会に挑戦しましょう。
逆もあります。今までサボってきた人は実力不足が明るみになります。苦労することになりますがこの苦労が今年でおわるように蛇のようにサボる自分から脱皮して自己研鑽を始めましょう。結果が出て評価されている人を羨ましいと思わずにその人が評価されるまでに乗り越えた苦労や困難、努力を認めて称賛や心の中で拍手して次は自分が評価されるように取り組みましょう。羨ましいと思うだけで自分には無理と決めつけて何もしなっかたら当然、何も変わりません。出来ないと勝手に決めたのは自分なので出来ると勝手に決めて自己研鑽に取り組みましょう。当然、苦労や困難はありますが、今の自分から脱皮する自分元年にしてみましょう。何をしたら良いのか分からない人は、3年後、5年後、10年後の自分が今の自分に何を言うのかを想像してみると何か思いつくかもしれません。
〇蛇口から色々なものが出てくる。
巳年は、蛇。蛇の口は蛇口。水が出るように蛇口から色々なものが出てきます。良い結果、良くない結果が出るだけでなく、人の足を引っ張っていたりした人はそのうわさや証拠が明るみなります。いろんな人に知られてしましますが自分が悪かったことを素直に認めて改心しましょう。
新しいものも出てきます。新テクノロジーなど今まで見たことないものがでてくるそうです。また、2024年11月20日に冥王星が山羊座から水瓶座に異動して本格的に風の時代に入ったことにより価値観も変わってきます。それにより例えば、会社での考え方が変わり作業効率化に役立つ便利ツールを新しく導入したりと改革により新しい方針が出てくるかもしれません。
〇新しいことを始める、一度諦めたことに再挑戦する。
蛇は脱皮を繰り返すことから「再生・回復・復活」を象徴する生き物で巳年は、新しいことを始めたり一度諦めたことに再挑戦するのに最適な一年です。
始めようか迷っていたり諦めたことがあるのでしたら思い切って挑戦してみるのに良い年です。
〇大地のように忍耐力と粘り強さ。ゆっくり、丁寧に、しっかり準備する。内側に目を向ける。
二黒土星の2025年。自然界のエネルギーに例えると「耕した土」。作物の成長を見守るように忍耐力と粘り強さが大切になってくる1年です。成功するまで評価されるまでと最後までやり抜く覚悟も大切になってきます。また、速く動くよりもゆっくりと丁寧にこなして着実に進んで行く方が問題なく過ごせます。
外よりも内側に目を向ける年でもあります。家族、友達、仕事仲間とのコミュニケーションをとり絆を深めることが運良く過ごすために大切です。内側ということから内部告発によって物事が崩れてしまいやすい特徴があります。そうならないために家族、友達、仕事仲間といった内側とのコミュニケーションをしっかりとり仲良く過ごしましょう。
〇2025年をより良く過ごすために気をつけること。
・変化することに恐れないこと。恐れていては変われない。
・新しいことを受け入れることを否定したり恐れないこと。新しいことには全部飛びつく勢いで。
・古い習慣を捨てて脱皮すること。新しい自分に生まれ変わる自分元年を目指して。
・真面目に生きること。不真面目な人は運に見放される。
・腸内環境を綺麗にすること。腸活してみよう。
◎注目される人ってどんな人?
・マイペース、飄々淡々、陽気、明るい、前向き、ポジティブ、能天気、単独行動が好きな人。
2025年は、どれか一つだけでも意識して過ごしてみると運よく過ごせるでしょう。特に真逆の人は勇気を出して今年1年間だけと思って変わってみましょう。
◎開運行動
2025年の一番の開運行動は、旅行です。時間と金銭が許す範囲で旅行を楽しんでください。
旅行するのに特に良い月があります。
それは、「1/5~2/2」、「2/3~3/4」、「11/7~12/6」です。この期間は是非、旅行に行ってみてください。さらに、出発するのに良い日は、「1/6,15,24、2/2,10,19,28、11/13,22、12/1」です。この日に出発できるように予定を立ててみてください。きっと楽しくて開運する旅行になるでしょう。
◎ラッキースポット
日本庭園や日本を感じられる場所、地元や生まれ育った場所、花畑、百合が咲く場所、弁才天様が祀られる場所、アミューズメントパーク、お笑いライブなどの笑う場所、新しくオープンする場所、新装開店したお店、行ったことない場所。
◎ラッキーフード
和食、和菓子といった日本のもの、郷土料理、土に埋まっている食べ物、新メニュー。
◎ラッキーカラー
オレンジ、緑、赤、青、黄色、黒、白、ベージュ、ゴールド、ピンク
◎ラッキーナンバー
35:思いやりもあり、器用に物事をこなすことが出来る。
5:聞き上手、合わせ上手、行動力もある。周りの意見を聞いて行動に移せるのでしっかり準備もできる。平和的に解決できる。
15:思いやりにあふれる。周りに合わせることもできる。
◎吉方位、凶方位
〇吉方位
北、東、南東、南、西、西南西(恵方)
旅行先の参考にしてみてください。
〇凶方位
北東、南西、北西
7日以上滞在する場合は注意が必要ですが、7日未満の場合は、問題ないです。
◎勝手に今年の漢字
「脱皮」
脱皮して新しい自分に変化しよう!
今回は2025年の運勢をご紹介しました。この記事を途中まででも最後まで読んでいただきましてありがとうございます。みなさんが楽しくて運よく過ごせる参考になれば幸いです。


第16章 『武士道はまだ生きていけるのか?』
・武士道は日本人の「活力の源」である
我が国に怒涛のように押し寄せてきた西洋文明は、私たちの中に引き継がれてきた日本古来の教訓を、すでに跡形もなく拭い去ってしまったのでしょうか?
そんなに簡単に外国からの影響に屈してしまうとすれば、その魂はあまりにも貧弱なものだった、と言えるかもしれません。
武士道が我が国に、とくに武士たちに対して刻印した性格は、疑いなく活力を与える要素になっています。
武士道がこの七百年にわたって蓄積してきたエネルギーは、そう簡単に止まってしまうものではありません。
無意識に及ぼす抵抗できない力として、武士道は国家と個人を動かしてきました。
現代日本の最も優れた先駆者の一人である吉田松陰が、処刑される前に詠んだ歌は、日本民族の正直な告白でした。
「かくすれば かくなるものと しりながら やむにやまれぬ 大和魂」
・近代日本は間違いなく、サムライたちによって作られた
形式こそ備えていませんが、武士道は我が国の活動精神であり、推進力でもありました。
そして現在でもそうなっているのです。
武士道は古い日本の建設者であり、またそこから生まれた製造物でもあったのですが、今なお過渡的日本を導いていく原理であり、また新しい時代を創造する力にもなっていくからです。
そのことについては、何より佐久間象山、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允といった、現代日本の建設者たちの伝記を聞いてみてください。
勿論、今も存命の伊藤博文、大隈重信、板垣退助といった人々の回顧録は言うまでもありません。
王政復古の嵐と国家再統合の渦の中、私たちの国の舵をとってきた偉大な指導者たちは、武士道の教え以外に道徳的な教えを知らない人たちでした。
新しい日本の特徴を作り上げる上で、私たちを刺激し、動かしてきたものは、純粋で単純な、武士道以外になかったのです。
・武士道の存続がこの国の未来を決める
極東の研究と観察を続けているヘンリーノーマン氏は、日本が他の東洋専制国家と違っている唯一の点は、「厳格で、高尚で、これまで人類が作ってきた中でも最も厳密である名誉の掟が、その国民に支配的な影響与えていたこと」だとしています。
この言葉で彼は、「新しい日本がどういうものか」を決定し、かつ「将来の日本がどのようになるか」を決めるものについて触れているのです。
日本の変貌は、全世界に知れ渡る事実となりました。
このような大きな仕事を成すには、当然ながら様々な動機が働いています。
けれども一つ主要な要因をあげるとすれば、私はためらいなく武士道の名を上げるでしょう。
東洋の制度と民族を詳しく観察したタウンゼンド氏は、こういいます。
「イギリスが中国からお茶を買っても影響はされていないように、日本の場合もまったく影響を受けたわけではない」
タウンゼント氏が、日本に変化をもたらした要因を、日本人自身の中に求めたのは、優れた指摘でしょう。
そして、もし彼が更に詳しく日本人の心理を研究したならば、彼の鋭い観察眼は、その要因が武士道以外の何物でもなかったことを見抜いたでしょう。
その一方で公平を期すために、私たちが特徴として持っている、弱点や欠点についても認めなければなりません。
我が国の何人かの若者が、すでに科学の研究では世界的な評判を得ているのに、哲学の分野では、誰一人、何も貢献できていません。
深遠な哲学的思想で日本人が劣っている要因は、武士道の教育制度の中で、形而上の学問がおろそかにされたことが理由になっていると思います。
また武士道が教えてきた名誉に対する意識は、日本人を感じやすく、激しやすい性質に育て上げました。
外国人によく非難される日本人の尊大な自負心は、名誉心の病的な行き過ぎが原因になっているのです。


第15章 『武士道の影響』
・武士道は武士だけのものではない!
武士が求める美徳は、私たち国民の一般水準より、はるかに高いところを目指しています。
太陽が昇る時は、まずは最も高い山頂を赤く染めて、それからだんだんと光線を谷間へ向けて注いでいきます。
同じように武士道の倫理体系も、最初は武士階級に光を当て、そこからしだいに一般大衆の中に従うものを生み出していきました。
・日本の文化はサムライによって作られた
日本という国は、サムライによって作られてきました。
彼らは国家の花であっただけでなく、根でもあったのです。
天からの素晴らしい贈り物は、武士たちによってもたらされてきました。
武士は、社会的には一般大衆と隔たっていましたが、民衆に道徳基準を示し、自ら
模範となることによって民衆を導いたのです。
武士道は、社会的に実践すべき外的な教えと、自らが研鑽に努める内的な教えから成り立っていました。
前者は社会の安定と幸福を求める善意の実践であり、後者は自身のために徳を高めていこうとする規律でした。
大衆娯楽と、それによる教化の手段には、数えきれないほどたくさんの種類がありました。
芝居、寄席、講談、浄瑠璃、読本など、そのほとんどはサムライの物語を主要なテーマにしています。
農民たちはあばら家の囲炉裏の火を囲み、源義経とその忠臣である弁慶の物語や、勇敢な曽我兄弟の物語を繰り返し語り、飽きることもなかったのです。
商家の番頭や小僧たちは、一日の仕事を終えて、店の雨戸が閉められると、一部屋に集まって、夜中まで信長や秀吉の話をします。
女の子でさえ、武士の武勇と徳を愛するように感化されていましたから、将軍オセロを愛したデズデモナのように、熱心に武士のロマンスに耳を傾けたのです。
武士は国民全体の美しい理想となり、「花は桜木、人は武士」と大衆にうたわれました。
どんな人の活動も、思想のあり方も、いくらかでも武士道の影響を受けなかったものはないでしょう。
日本における知性と道徳は、直接的にだろうが、間接的にだろうが、武士道が作ったものだったのです。
・大和魂の誕生~日本人はなぜ桜を愛するのか?
武士道は様々な形で、それが生まれた武士階級から流れ出し、大衆の間で酵母のように熟成し、国民全体の道徳規範となっていきました。
一般大衆は武士たちの求める行動基準には達しなかったのですが、それでも「大和魂」という言葉が、我が国の究極的な「民族精神」を表すようになったのです。
本居宣長は次のように詠いました。
「敷島の 大和心を 人問はば 朝日に匂う 山桜花」
桜は長い間、日本人が愛した花であり、国民の象徴でもあります。
その気品ある、優雅な美しさが、他のどんな花よりも私たちの美的感覚に訴えるから、私たちは桜を愛するのです。
自然のままに生命を終えて散り、色も決して派手ではなく、香りもほのかで人を飽きさせません。
桜の甘い香りが朝の空気と共に漂うとき、ちょうど太陽が昇ってきて、この極東の島国を照らす。
私たちは美しい日の、爽やかの空気を胸一杯に吸い込む。
「朝日に匂う山桜花」とは、まさにそんな日本人固有の感動体験を表しているのです。


第14章 『女性の教育と地位』
・武家の女性たちも「武士道」は徹底した!
武士道というのは、そもそもが男性のために作られてきた教訓です。
だから女性に与えられた特性も、「女性的」とされるようなものを当然のごとく無視してきました。
「女性特有の弱さから自分を解放し、最も強く、最も勇敢な男性に匹敵するような、英雄的態度を発揮する女性」を賞賛しました。
だから女性は、少女の頃から感情を抑え、精神力を強くし、また武器を扱う訓練も行っています。
特に薙刀と呼ばれる長い柄を持った剣を振るい、予期せぬ事態が起こった時に自分を守れるよう、修練を繰り返したのです。
このような武芸の訓練は、戦場で使うのが目的ではありません。
主君を持たない女性は、自分で自分の身を守る必要がありました。
つまり夫が主君を守るのと同じくらいの熱意で、個人の尊厳を自分で守ったのです。
・サムライの女は、迷わず短刀で自身の胸を刺す
女性が成年に達すると、「懐刀」という短刀を贈られました。
その短刀は、自分を襲ってきた者の胸を刺すため。
それがかなわなければ、自分自身の胸を刺すためです。
自害の方法を知らないということは、女性たちにとって恥ずべきこととされました。
また、どれほど死の苦痛を感じたとしても、彼女の死が発見されたときに、脚が乱れずに正しい姿勢を保てるよう、帯紐でしっかり膝を結ぶ方法も知らなければなりませんでした。
・才女は一流をもって人をおもてなす
芸事や、優美な日常生活も、女性たちに要求されていたことでした。
音楽、踊り、また文学などもおろそかにされていません。
実際、我が国の文学の中で最高の詩歌のいくつかは、女性たちが自ら感情を表現したものです。
舞踊は、その立ち居振る舞いをなめらかにするために教えられました。
音楽は、彼女たちの父や夫に癒しのひとときをもたらすためのものでした。音楽を習うのは、技術を磨くためでも、芸術のためでもなかったのです。
すなわち芸事というのは、あくまで道徳的な価値観に従属したものだったのです。
舞踊や音楽は、人生に優雅さや輝きを加えれば十分であって、見栄や奢侈を求めるものではありません。
女性たちの芸事は、世間に名を売るために学ぶものではありません。
あくまで家庭で楽しむものであり、社交の場で披露するのは、ホスト役としての務めに過ぎませんでした。
言い換えるなら、主婦として客をもてなす趣向の一部だったのです。
サムライの家の女性たちが教育を受ける理由は、家を治めるためでした。
・刺客に首を捧げた理想の妻
彼女たちがあくせく働き、時には命すら捧げるのは、家の名誉と権威を守るためでした。
娘としては父のために、妻としては夫のために、母としては息子のために、その身を犠牲にしたのです。
女性が夫や家や一族のために身を捧げるのは、男性が進んで主君や国のために身を捧げるのと同じ目的で、立派なこととされてきました。
自己放棄、おそらくはこれなくして、武士道に生きた人々の人生に見られる謎は解けないでしょう。
女性は己を棄てて男性を助け、男性は己を棄てて主君に仕える。
そして主君は天命に従って、己の役割を果たすことが求められました。
・日本人男性が妻を「愚妻」と呼ぶ理由
一般的な日本人男性は、自分の妻を表現するのに、「愚妻」などという言葉を使います。
日本について生半可な知識しか持たない外国人には、それを聞いて、「女性が蔑められている」とか、「少しも尊敬されていない」という人もいます。
けれどもそれは、物事を表面からしか見ていません。
だいたい同じような言葉で、「愚夫」とか「豚児」とか「拙者」なども、日常的に使われているのです。
それだけで答えは十分でしょう。
夫や妻が第三者に対し、よかれあしかれ、愛らしいとか、聡明だとか、優しいなどというのを聞くと、夫や妻を「自分の半身」と考えている日本人には非常におかしく思えます。
自分自身のことを「聡明なる私」とか「私の愛らしい性格」などと話すのは、良い趣味といえるでしょうか?
私たち日本人は自分自身の妻を褒めることは、自分の一部を褒めることと同じだと考えているのです。
そして私たちは、自分を賞賛することは、少なくとも「悪趣味だ」と見なしているのです。


第13章 『刀、サムライの魂』
・刀はその通り「武士の魂」だった
刀は武士道にとって、刀と武勇の象徴でした。
サムライはまだ幼い時から刀の用い方を学びます。
そして5歳になると、記念すべき日がやってきます。
サムライの正装を着せられ、碁盤の上に立たされ、それまで振り回していたオモチャの剣の代わりに、真剣を腰に差すことによって武士の資格を認められるのです。
この「武門入り」の最初の儀式が終わると、剣を身に付けずに、屋敷の外に出ることはなくなります。
十五歳で成年となり、行動の自由が許されるようになると、武士のどんな仕事にも役立つ十分な鋭い刀を持ち、自分自身に誇りを持つようになります。
危険な道具を所有する感覚が、自尊心や責任感を抱かせるのです。
腰に提げている刀は、常に心に携えている忠義と名誉の象徴でした。
長いものと短いもの、二つの刀は「大刀」と「小刀」、または「刀」と「脇差」と呼ばれています。
これらは決して取り外して脇に置くものではありません。
家にいる時は、書斎か客間の最も目につきやすい場所に置かれ、夜は枕元のいつでも手が届く場所に置かれました。
刀はこのように障害の伴侶として愛され、特別な名前もつけられて貴ばれたのです。
それは殆ど崇拝に近いものでした。
多くの神社や名家が、刀を礼拝の対象として収蔵していました。
刀に対する無礼は、持ち主を侮辱するのと同じ。
床の上に置かれた刀を、不注意にでもまたいでしまう、ということは許されなかったのです。
それだけ貴重なものだったのですから、刀は芸術家が関心を持ち、技巧を施すものになりましたし、所有者の虚栄心を満たす所有物にもなりました。
特に平和な時代になると、その傾向は強く表れます。
柄には鮫の革や高級な絹が巻かれ、鍔には金や銀が散りばめられ、鞘には様々な色合いの漆が塗られる・・・などということになれば、刀本来が持っている死を伴った怖さは、半減してしまいます。
・刀を決して抜かなかった真のサムライ
刀鍛冶は単なる工人でなく、霊感を受けた芸術家であり、その工房は神聖な場所とされていました。
毎日彼は、神に祈り、沐浴をしてから仕事を始めます。
別の言葉でいえば、心魂気迫を打って錬鉄錬冶したのです。
日本刀が妖気を放っているといわれるのは、刀鍛冶の魂が乗り移ったのでしょうか、祈り続けた神の力でしょうか?
それはまるで「荘厳なる美」と「完璧な強さ」を結び付けているようです。
私たちはそこに力と美、あるいは畏敬と恐怖といった、相反する二つの感情を抱くでしょう。
武士道では、普段における刀の使用は厳しく制限され、みだりに使う人間は非難され、卑怯者であり、傲慢と見なされました。
今は亡き勝海舟は、私たちの歴史の中で最も騒がしい時代を乗り越えてきた武士です。
彼が生きた時代は、暗殺に自殺に、その血なまぐさい事件が日常茶飯事でした。
彼は何度も暗殺の対象に選ばれました。
けれども彼は決して、自分の刀を血に染めるようなことがなかったのです。
「私は人を殺すのが大嫌いで、一人も殺したものはいないよ。みんな逃がして、殺すべきものでもマアマアと言って放っておいた。刀もひどく丈夫に結わえて、決してぬけないようにしてあった。人に斬られても、こちらは斬らぬという覚悟だった。なに、ノミやシラミと思えばいいのさ。肩に捕まってチクリチクリと刺してもただ痒いだけだ。生命に関わりはしないよ。」
これが逆境と勝利の激しい炎が燃え盛っている時代に、武士道の訓練を受けてきた人物の言葉なのです。
