武士道 第3章


第3章ー「義」あるいは「正義」

・義は正義に基づく決断の力

ここでは侍の掟の中でも、最も厳しいものであった教訓を取り上げましょう。
サムライにとって卑劣な行動や不正な行為ほど、忌むべきものはありませんでした。

有名な武士、林小平は、義の観念を「決断の力」と定義し、次のように述べています。
「義は勇の相手にて裁断の心なり。死するべき場面に死し、討つべき場面に討つことなり。」
また、真木和泉守という武士はいいます。
「節義は例えて言わば人の体に骨あるがごとし。骨なければ首も正しく上にあることを得ず、手も動くを得ず、足も立つを得ず。」
孟子は「仁は人の心なり、義は人の道なり」と述べています。
孟子のよれば、義とは見失った楽園への道を取り戻すために、人が歩まねばならない一直線の狭い道なのです。

封建時代の末期になると長い平和の時代が訪れ、武士の生活にも余暇が生じました。
それと共に、あらゆる種類の娯楽や、上品な技芸のたしなみが武士の間にも普及していきます。
そんな時代になっても、「義士」という言葉は、学問や技芸を究めることで得られるどんな称号よりも、優れていると考えられていたのです。
討ち入りした四十七人の忠臣たちも、我が国の大衆教育においては、「四十七人の義士」として取り上げられます。
陰謀が軍略としてまかり通り、また欺瞞も策として当然のごとく行われた時代に、この率直で正直な男らしい美徳は、最も光り輝く宝石であり、最も高く称賛されるものでした。
義は、もう一つの武士の美徳である「勇」と双璧のものだったのです。

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