
明けましておめでとう御座います。
ことし一年の皆様のご健康、怪我なく稽古を楽しんで頂けますよう出雲大社にて祈念して参りました。
本年も宜しくお願い致します。
城崎流居合抜刀道
横浜教室 赤崎知宏



明けましておめでとうございます。
ここ数年は年始に研修を兼ねて接客の良いホテルや旅館を探して宿泊しておりましたが、今年は自宅でゆっくりしております。
28日の稽古納めの後、4日までゆっくり過ごせますが、ゆっくり事務仕事をして、あっという間に稽古始めになりそうです。
昨年から講師二人制を取り入れ、より一人一人の生徒の皆さんへ気が届くようになったと思います。
それでも人数が多いと全員に声を届けられないことがありますが、全員にマンツーマンのようにやっていきたいと思います。
3月には居合刀買い物ツアーで何名かの方が居合刀を注文し、半年かけて職人さんが制作して手元にくると、何とも言えない嬉しさがあります。まさに愛刀となります。
今年も希望者がおりましたら開催したいと思います。
4月には芸術祭の実行委員会がスタートし、今回は委員長をさせていただきました。
集客に力を入れて満席のお客さんの前で演じられるようにと考えておりましたが、なかなか難しかったです。
6月はヨガの先生をお迎えし、ヨガ体験会を開催致しました。
馴染みのない方には難しいのですが、仏教や神道にも繋がる奥深いものなので一度深いところを見てみていただきたいです。
7月は学童保育の殺陣体験会で、子供たちに侍の一部を体験していただきました。
2時間で多くを伝えることはできませんが、侍たちが持ってた強い精神だけでなく、強い肉体も作ってほしいです。
頭が強いと体が弱くなり、体が強いと頭が弱くなる傾向がありますので、心と体と頭の3つを鍛えてほしいです。
8月最後は恒例の1時間程のミニ花火。
花火はいくつになっても楽しいですね。日本人の心に触れる何かがあるのでしょうね。
花火とか買い物ツアーとか、今年はそういう教室以外の楽しみの場をもっと作っていきたいと思います。
そして9月は芸術祭の本番。
お陰様で今年もいい芸術祭となりました。
稽古の成果を発表する数少ない場になりますので、今後もできる限り続けていきたいと思います。
11月は年に一度の審査会。
普段の稽古ではなかなか自分の上達を感じにくく、1年たっても2年たっても自分は上達してないんじゃないかと思うことがありますが、確認の場があると自分の成長を感じられますので、やっぱり物事を続けていくのに必要な事だと思います。
12月は沖縄教室開講。
大人になるとなかなか性格を変えるのが難しいのですが、私の性格の基礎を作ってくれました沖縄に、感謝の気持ちを形で返していきたいと思います。
今年は殺陣教室の講師も増えて、私を含めて6名となりました。
それぞれの個性を持ちながら、講師一同和事の講師の名に恥じないように丁寧に礼を持って正しくいきたいと思います。
今年も皆が楽しめる教室を全力で作っていきます。宜しくお願い致します。


お陰様で今年の稽古も無事終えました。
毎年いい雰囲気の教室を保つ事を考えておりますが、皆様が積極的にコミュニュケーションをとったり、新しく入会された方にも声をかけてくださったり、本当にありがたいです。
稽古場に入る時に、皆が普通に挨拶をするということも良い雰囲気に繋がっていると思います。
最近は挨拶するのもしないのも自由と言う人もいますが、
挨拶は自分が敵じゃないこと伝えるものなので、「こんにちは」でも「おいっす」でも「ハーイ」でも何でもいいのですが、声に出して自分の存在をいる人に伝えることに意味があるのです。
そっと入ってくると、敵や怪しいものと思われて斬られてしまっても、斬られた後なので文句を言うこともできません。
それでもたまに怪しい人が入ってくることもあります。
最近、ティックトックの有名人という方から体験の申し込みがありました。
「先に言っておくが、私はフォロアー数何万人の有名人で、私が動画を上げると凄い影響がある」から稽古中にカメラを回させてもらうという、何故かいきなり上から目線のメッセージでした。
SNSを使っていない私には全く関係がないので、そっこう断りました。
特にティックトックなんかは一度も見たことがない。
あと、以前に体験にいらした方で、「俺は有名人だ」という何故か上から目線のオジサンがいました。
その日、急に作法の稽古をすることにして、膝行・膝退を何度もやらせて足腰立たなくしてやった。
それでも入会したのだが、暫くすると殺陣教室は辞めて居合教室へ行って、殺陣教室の悪口を言っていた。
因みにその有名人のことを殺陣教室86人誰も知らなかった。
とまあ、たまに変な人が来たりするが、基本的には最初から社会的にまともな方が来てくれるので、自然と良い雰囲気が保たれていると思う。
もし迷惑をかけられているとか、困っているとかありましたら、そういう人の性格は直らないのですぐ私に言ってください。
今年も殺陣教室へご参加いただきありがとうございました。
良いお年をお迎えください。


第5章 仁、すなわち哀れみの感情
・王者の持つ徳分、それが仁
愛情、寛容、他人への同情、哀れみの情は、常に至上の美徳と見なされ、人間の魂の中にある最も気高い性質とされてきました。
それは二つの意味において、王者にふさわしい徳分だったのです。
一つは気高い精神と見なされる多くな性質の中でも、一番王者に相応しいものと考えられたこと。
もう一つは、王者だからこそ、そうした徳を持っていることが相応しいとされたということです。
孟子も孔子も、何度となく人を治める者の絶対条件は、「仁」にあるということを繰り返しています。
孔子は言います。
「上の者が仁を好んだ場合に下の者が義を好まないということはない」
孟子はこの師匠の言葉を補足して、次のように言います。
「仁を持たずして一国を得る者はいるが、仁がないのに天下を治めることのできた者は、いまだかつていない」
孔子も孟子も、王者たる者の絶対条件を定義するときに、「仁は人なり」ということを述べているのです。
・最も勇敢な者は、最も優しいもの
高潔な「義」と、厳格なる正義を、どちらかといえば男性的なものであるとすれば、「慈愛」は女性的な優しさと説得力を持っています。
しかし日本人は、むやみに慈愛に心を奪われないように、必ず公正さと義を心において物事に対処するように戒められてきました。
そのことを表現した、伊達政宗の「義に過ぎれば固くなる。仁に過ぎれば弱くなる」という言葉は、しばしば引用されます。
「最も勇敢な者は最も優しい者であり、愛にあふれたものは勇気のあるものでもある。」という言葉は、古今東西で普遍的な真理となっています。
日本にも「武士の情け」という言葉があり、それは人々の心にある高潔さに対し、美しく響いてくるものです。
武士の慈愛は決して衝動的なものではなく、正義を行うことに配慮することが前提になっています。
相手を生かすか殺すかまで判断させる力を、その背景には兼ね備えていたのです。


第4章 勇、すなわち勇敢で我慢強い精神
・「死するべき時に死する」が真の勇
勇気は、義のために行使されるのでなければ、美徳としての価値はないとされてきました。
孔子は『論語』の中で、「義をみてせざるは勇なきなり」と勇気の定義づけをしています。
この格言を肯定的に言い直すならば、「勇気とは正しいことをなすことである」となるでしょう。
あらゆる危険を冒し、命を懸けて死地に飛び込むことは、よく勇気と同一視されます。
しかし、武士道においては、そうではないのです。
その価値に値しない死は、「犬死に」と呼ばれていました。
「生くべき時は生き、死するべき時に死するを真の勇というなり」
こう述べたのは水戸の徳川光圀でした。
「勇気があること」は若者にとって最も人気のある資質となり、皆競い合ってそれを習得しようとしたのです。
・武家の子が「千尋の谷に突き落とされた」意味
親は時々、残酷とも受け取れるような厳しい方法で、子供の胆力を鍛えたのです。
それは「獅子は我が子を千仞の谷に突き落とす」と言われたほどで、サムライの子息は困難の伴う谷に突き落とされました。
時には食物を与えなかったり、寒さにさらしたり、それらは忍耐を養うための非常に効果的な試練だと考えられました。
月に一度か二度、学問の神様のお祭りの時に、何人かの子供たちが集まり、徹夜で夜通し大きな声を出して輪読をさせられることもありました。
斬首が公開で行われていた時代には、その恐ろしい光景を見に行かされ、夜の暗闇の中、一人でその場所を訪れ、さらし首に証拠の印をつけて帰ってくるように命じられることもあったのです。
このような超スパルタ式の「肝を鍛える」訓練は、現代の教育者には不可解とともに、「心に芽生えた優しい心を、蕾のうちから摘み取ってしまうのではないか」という疑いをもたらすかもしれません。
・補注 誇り高き武士たちの勇気ー太田道灌、源義家、上杉謙信
勇気の精神的側面は、落ち着き、つまり、心の平静さとして表れます。
平静さとは、静止した状態での勇気。
一方、勇猛果敢なる行いは、動いている状態の勇気ということになります。
本当に勇敢な人間は、常に冷静であり、物事に動じず、何ものにも乱されることはありません。
激しい戦闘の中にあっても冷静さを保ち、大災害の中にあっても心の状態を維持し続けます。
危機に対峙した時に、落ち着いて詩を残す。死に直面した時に、穏やかに歌を詠む。
私達はそんな人を心から賞賛します。
史実として伝えられる話に、江戸城の基を築いた太田道灌の話があります。
彼が槍に貫かれた時、道灌が歌の達人であったことを知っていた刺客は、一突きとともに和歌の上の句を詠みました。
まさに息を引き取ろうとしていた英雄は、その上の句を聞き、致命傷をものともせず、下の句を続けたのです。
