お昼時間に昨日は1時間以上正座して参ったという話をしたらお姉様方は1時間位何でもないようだ。
長時間正座でお茶をしたり書道をしたり正座のマメができたようだ。
若い人は正座ができないし蹲踞ができないと言うが私も蹲踞は凄く苦手だった。
二十歳位の人だと蹲踞ができない人がいる。
苦手ではなくできない。
外国人に正座ができない人がいるように。
実際に見ないと理解できないと思うが、足が正座の形にならない。
こっちからすると正座の形すらできないことが理解できない。
正座をさせようとすると技をかけられているように痛がる。
環境で人間の体が変わることがよく分かる。
・左手の内。
・第三肩入れ。
・楽に引ける位置に持ってくる。
いつも皆で昼食を取りますが、武道で育った人がいて、元教師がいて、今日は若い人にどう教えるかについて面白い話になりました。
私は以前空手を教えていた時から昔のやり方を残しつつ全員が成長できることを考えてやっていましたが、そんなやり方では上手くいかないと言われることがありました。
今回もまた時代錯誤なことを言っていると思って気にしないでください。
今の時代には今のやり方が良いのだろうと思いますが、ただ何故か私の生徒の方が上手くなって試合でも勝っていました。
私も空手の子供たちによく言いますが、「見て覚えろ!」
今はそんなことを言う人がいなくなったので完全に昔話を聞くような感覚になっています。
弓のブログで人に教わらず自分でできるようになるということを自分で書いたりしていますが、
はっきり言うと無理です。
教えてもらわずに上手くなることはできません。
オリンピック選手やプロ野球選手でコーチに教えてもらわず一人で上手くなった人はいないと思います。
見て覚えることと矛盾しているようなのですが、昔話にはちゃんとした教えがあるのです。
それが伝わっていないので聞く耳を持たれない古い言葉になっているのです。
昔々あるところに剣術道場がありました。
そこの先生は凄く強いのでそこの道場には沢山の生徒が集まりました。
人が来るのはいいのですが、その人たちが何者かは分かりません。
敵道場のスパイかも知れません。
なので先生は自分が身に付けた技を皆に教えるわけにはいきません。
誰にも何にも教えません。
そうすると不純な動機で入ってきた人は辞めてしまいます。
結局誰も上手くならないかと言うとそうでもなく、先生の技を見て覚えようと頑張る人が出てきました。
そしてある程度できるようになりました。
すると先生は、こいつは見込みのあるやつだと思って自分の技を教えるようになりました。
先生は次の先生になってくれる人が一人いればいいので、その人に自分の技を教えたのです。
その人は教えてもらって初めて高いレベルに行けましたとさ。めでたし。
簡単に言うと教えたくなるほどまずは自分でがんばれという話なのです。
昔話なのですが、ただ今の時代でも先生たちは平等に教えてくれないということです。
子供たちにも言っているのですが、先生たちは教えたい人、できるようになってほしい人に教えるのです。
勿論単純な好き嫌いではなく、その人の気持ちに対して平等にしているのです。
授業中居眠りしていたり、お喋りしている子には先生も一生懸命教えようと思いません。
一生懸命やっている子には自分の時間をさいてでも教えたくなります。
先生が教えたくなるほどまずは一人でできるようになるつもりで頑張りなさいということです。